ピエモンテの風に抱かれて
< こんな上司に愛されたぁーい > というテーマでダークスーツに身を包み、悪魔的で妖艶とも言える流し目をしながらランウェイでポーズを決めている。
2万人も入る会場で最前列を陣取っている女の子たちが、目をハートマークにしているのは言うまでもない。
元々美男でも、芸能界で洗練されれば誰でも輝きを増すだろう。龍の場合は身長も188cmに伸び、何処にいても注目される存在になっていた。
『カッコつけやがって…』
サーシャが少しスネたような言い方をしたので、樹里はクスリと笑ってしまった。すると彼は、
『何か言いたいみたいだな?』
『だってこの写真…、もしかしてサーシャを意識したのかも、って言おうとしたのに』
『一緒にすんな。俺はこんなざーとらしい表情はしない』
そう言って首を斜め上に振り上げると、肩まであるブラウンの髪がフワッとなびき、
蛍光灯に照らされた碧色の瞳がキラリと光った。
世界的に浸透しているクールビズもなんのその、真夏にも関わらずキチッとネクタイを締めてスリーピースをビシッと着こなしているあたりは、写真の龍と瓜二つだ。
『ほらほら、その感じ。思い切りキザっぽいですよ?』
『おい…、俺はキザを装った覚えはないぞ』
『またそんなこと言っちゃって』
クスクスと笑う樹里を今度は全く無視したサーシャは、いつものポーカーフェイスに戻った。
『ジュリから連絡取る気はないのかよ? アドレスや電話番号が変わったといっても、方法はいくらでもあるだろうに』
『あ…、リュウは忙しいと思うからやめておきます。
それに今はすごく便利になりましたよね。情報はリアルタイムで何でも得られるし、ケーブルテレビではリュウが出てるドラマも観れるようになったし。
だから彼がすぐ近くにいるような気がして、安心できるんですよ』
近くにいる? と怪訝そうに繰り返したサーシャの眉がピクッとあがった。
『ええ。この業界にいるとなおさら感じます。外国との連絡だって料金も安くて簡単に出来るようになって。母さんがいつも言うんです。昔は………』
相槌もしないサーシャに、樹里は自分の母親の話を引き合いに出した。
30年ほど前、欧州で日本という国はあまり知られていなかった。信じがたい話だが、一部ではまだ忍者や武士が存在するとも誤解を受けていたくらいだった。
そんな国から単身でやってきた平たい顔をした異邦人女性の苦労話は、語り尽くせないものだ。
習慣の違い、カルチャーショックを受けるごとにホームシックになり、その度に家族や友人の声を聞きたくてたまらなくなった。
しかし国際電話は一分かけるだけでも何百円とかかかってしまう。海を越えて渡る手紙は日本に着くまで一週間以上はかかり、それに代わるFAXは便利だったが、一般家庭にはそれほど普及していなかった。
とにかく外国との連絡はお金と時間の消費が激しかった時代なのだ。
カチカチとマウスをクリックし、パソコン画面に映る龍の写真を立て続けに大きくしていった樹里は、フッと軽くため息をもらして言った。
『だから本当に世界は狭くなったと思います。リュウとだって、いつでも連絡が取れると思えば気が楽になるんです』
狭くなったねぇ…、とサーシャは口の中でつぶやくと、
『呑気なもんだな。芸能界の綺麗な女にリュウを取られてもいいのか?』
長めの前髪の間からのぞかせた神秘的な碧色の瞳が、まるで人を見透かすかのように鋭い視線を放った。
そんな威圧感に負けそうになると、返す言葉もない。
『そ、そんな…』
『少しは積極的なイタリア女を見習ったらどうだ』
樹里はまた悲しい笑顔をサーシャに向けた。