ピエモンテの風に抱かれて
そこにいきなり現れたのは…
『サーシャ? どうしてここに? あなた、そろそろバスケットの強化合宿なんじゃ…』
今日もシワ一つない高級そうなスーツに身を包んだサーシャだった。
『仕事はギリギリまでやるのさ。お客さん迎えに来たんだ』
それにしても長身の彼は、どこにいても人目を引く。道行く人がチラチラと振り返っている。
それは背が高いから、という理由だけではないだろう。服の上からでもわかる引き締まった身体。光沢のあるブラウンの長髪。キリッとした眉毛。シャープな顎の形。
全ての要素が漫画から抜け出したイケメンキャラのようであり、
何といっても切れ長のハッキリ二重の目の中にある碧色の瞳が、神秘的な深い森の中をイメージさせ、見る人を引き付けてやまないのだ。
こんな彼は、学生時代から続けているバスケットボールで社会人の全国大会に連続出場し、チームを準優勝に導いた立役者でもあった。
『お客さん迎えに来たんだけど、早く着いちまったんだ』
そう言われた樹里は、ホッと一息ついた。知り合いの顔を見るだけでも龍への不安と、仕事の緊張感が和らいだのだから。
しかしサーシャは思わぬことを言った。
『ジュリがなんで暗い顔してたか知ってるぞ』
樹里はギクリとして、彼を見上げた。
『ネットで見たんだ。日本語が分からなくても写真だけで想像はつく。スキャンダルが怖いのはどの国だって同じだろうに。やってくれたよな、アイツ…』
樹里は慌てて否定した。それが気休めだとわかっていながら。
『で、でも記事には事務所やリュウ本人のコメントはなかったんです。だから真相なんて……』
言い切らない内にサーシャは冷たいそぶりでピシャリと言い放った。
『それにしても嘘から出た真ってのは、このことだ。芸能界の綺麗な女に取られるぜって言ったばかりだろ? いい加減、ジュリも目が覚めたか?』
目が覚めた−。まさにその通りだ。樹里はギュッと奥歯を噛み締めた。
『…ええ。さすがに堪えたわ。リュウの携帯番号が分かったから、日本に行ったら連絡取ってみようと思って』
『へえ、やっとその気になったんだ? ま、せいぜい頑張るんだな。連絡するのが遅すぎた〜とか言って、泣きっ面かくなよ?』
応援してくれているのか、いないのか。サーシャの言い方には必ず刺がある。だが、そんな彼の口調が一瞬だけ…、
ほんの一瞬だけ柔らかくなった −。
『何かあれば電話していいから』
『 え…? 』
視線が重なった二人の間に沈黙が走る。しかし、彼はすぐにいつものサーシャに戻ってしまった。
『やっぱりダメだな。時差を間違えて真夜中に起こされるのはごめんだ』
『そ、それくらい気をつけますよ…』
樹里が少し戸惑いの表情を見せていると、急にガヤガヤとした明るいムードに包まれた。
『ブォ〜ン ジョ〜ルノ−−!!』
集合時間から遅れること15分。わらわらと押し寄せてきたツアーメンバーのお出ましだ。
『やっとご到着か。手伝ってやっから、さっさとチェックイン済ませよーぜ』
そう言って胸ポケットからサッとペンを取り出す。樹里が用意したカウンターの上の書類を鋭くチェックすると、よし、と言って力強くうなずいた。そして慣れた手つきで作業を始めた。
『ジュリはパスポート集めて。次はスーツケースに荷札つけるんだ』
『は、はいっ』
的確なサーシャの指示を聞いていると、やっとモードを切り替えることができた。
− そうよね。まずは仕事よ! −
『まあ、こんな可愛いお嬢さんが私達を添乗してくれるの? よろしくね!』
夫婦が6組で総勢12名。自分の祖父母より年配に見えた優しそうなお客さんに、安心感も湧いてきた。
『こちらこそよろしくお願いします!』
< アラタリア航空2476便フランクフルト行きにご搭乗のお客様は… >
搭乗案内が流れると、二人は自然に目を合わせ、軽く別れのハグをした。
『ありがとうございました! 行ってきます』
『頑張れよ。チャオ』
旅のスタートであるセキュリティチェックに向かう彼女の姿を無事見送ると…、
『おーい、サーシャじゃないか。何してんだ? こんなところで。今日は合宿前の最後の休みとか言ってなかったか?』
たまたま航空会社と打ち合わせをしていた、同じ会社の上司が話しかけてきた。
『いえ、知り合いを見送ってただけですよ…』
『そうか。そういえば例の話はどうなったんだ?』
『バスケで優勝できたら本格的に進めます。それまでは会社の皆には内緒にしておいて下さい』
『そうか…。会社としては残念だが、自分のやりたいことは貫けよ』
『ありがとうございます』
サーシャのやりたいこととは何なのか −?
樹里の想いは龍に伝わるのか?
物語の舞台は東の果てにある…
1万キロも離れた日本へと移る。