ピエモンテの風に抱かれて
波乱のツアー

− て、添乗員が、こんなに大変だなんてー…… −



ゼィゼィと肩でする息。うっすらと額に浮かぶ汗。朝からずっと龍に電話をするチャンスを伺っていた樹里だったが、それどころではないと改めて気づかされていた。



『あっ、危ない! 道路を渡る時は右から見るんですよ。イタリアとは逆ですから注意して下さいねー。ああっ、エスカレーターも逆です! 東日本では立つのは左です。左に立って下さぁーい』



成田空港で飛鳥が絶句していた意味が手に取るようにわかる。日本が初めてというツアー客に、てんてこ舞いする日々が続いていたのだ。



空を見上げれば、そこには息を呑むような雄大な富士山。眼下に広がるのはこの地のシンボル、芦ノ湖。

このツアーの全行程は9日間。3日目の今日は、歴史溢れる名所があちこちに点在する外国人に人気の観光地、旅人の心を誘う箱根だ。



蒸し暑い日本の夏の避暑地で、やっと一息つけると思われた30分間のフリータイムがやってきた。樹里はタイミングよく、土産物屋の前に飾ってある短冊を発見した。

飛鳥の言った通り、この時期は所々で色とりどりの短冊が目につく。笹の脇にはご丁寧にもテーブルとペンまで用意されているではないか。

チャンス! と思ったその途端 −。




『ジュリさぁーん! 店員さんがチップを受け取ってくれないのよ〜』



フリータイムといえど気が抜けない。それこそ文字を書く暇さえないのだ。



『あ、あの…。日本はチップは必要ないと最初に説明しましたが…』



『それは聞いてたけど、すごく親切にしてくれたから。茶屋でうっかりお茶をこぼしちゃったのよ。そうしたらドライヤーで服を乾かしてくれて。お茶のお替わりまでくれて』



そんな会話を聞き付けた飛鳥が、樹里にピシッと注意を促す。



「ジュリ、あの言い方は感じ良くないわ。一回や二回説明しても、習慣てのはなかなか抜けないんだから言葉には気をつけてね。添乗員ていうのは忍耐が大事よ」



「は、はい! すみませんでした!!」



昨夜、龍の相談に乗ってもらった優しい飛鳥とは思えない。オンオフがハッキリしており、仕事にはかなり厳しいのだ。そんな彼女は素直に謝った樹里に対し、満足げにニッコリと微笑むと首を縦に振っていた。

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