ピエモンテの風に抱かれて
箱根の山奥からホーホー、というミミズクの鳴き声が聞こえる。
今夜の宿は、広大な敷地に点在するプライベート感満載の離れの客室。その数わずかに15室。かなりの高級旅館だ。
キングサイズのベッドが置かれた洋室の隣には、藁の匂いが芳しい畳の部屋が。ベランダには日本ならではの檜の露天風呂が湯気を立てている。もちろん源泉かけ流しの。
そんな中、優雅に一風呂浴びた飛鳥が、濡れた髪をタオルで拭きながら一際高いソプラノを響かせていた。
「女の人が出た!?」
「そうなんです。運が悪くてトンネルの中で切れちゃったんです。間違えたのかとも思って番号も確認したんですけど、合ってました」
飛鳥は少し言いにくそうに目を窪ませている。
「……ね、その女の人って、どんな感じだった? まさかとは思うけど、キスしてた彼女じゃないわよね?」
考えることは皆同じだ。樹里は目をギュッとつむり、落ち着いて記憶を掘り返すと、電話の女性の声が甦ってきた。
「あ…、いま思い出したんですけど、声質は若い感じではなかったかも…。それによく考えると、真昼間から噂された彼女と一緒にいるなんて、おかしな話ですよね、そうですよね?」
必死で同意を求めた樹里を安心させるかのように、飛鳥は笑みを作った。
「確かにその通りよ。その女性はリュウの代わりに出た関係者とも考えられるわ。ね、とにかくもう一度かけてみたら? いま彼はどうしてるのかしら?」
飛鳥が印刷したスケジュールは大活躍だ。樹里は今日の日付を指を差しながら言った。
「いまは…、ミュージカルの夜の部が終わって1時間半は経ってますね」
時は22時30分。この時間なら電話するには遅すぎることもないだろう。
「今度こそリュウが出るんじゃない?」
「わかりました。もう一回勇気だします!」
「そうよ、そのいきよ!」
両手の拳を握って樹里を応援しながらも、気を使うように、そうっとベランダに出ようとした。そんな飛鳥の優しさに心が温まる。
フウッと深呼吸をし、再び決死の想いで携帯のリダイヤルボタンを押すと、
− ん…? −
なぜか呼び鈴の前に聞き慣れない音声が……?
< …お繋ぎでき… >
「え…?」
「ジュリ、どうかした?」
樹里の表情が凍りつく。呆然として落としそうになった携帯を、小走りで戻って素早くキャッチした飛鳥は、慌てて自分の耳に当てた。
< お客様のご都合により、この電話はお繋ぎできないことになっております >
「は? なにこれ!?!?」