ピエモンテの風に抱かれて
唇を離して微笑む龍。優しくそう言われたものの、樹里の不安の種はつきない。もう一度確かめるよう聞いた。
「だって…、この前も稽古場から女の子と腕組んで出てきたわよね。見つめ合ったりして…、まるで恋人同士みたいだったわよ」
「ああ、あれ?」
またしても龍はあっけらかんと続ける。
「あの子、恋愛経験が少ないみたいで、俺がいろいろ教えてやってんだよ」
「は…? リュウがいろいろ教え…? どういうこと!?」
憤慨する樹里を軽くあしらうように、龍はお腹をかかえてアハハハと笑う。
「そう言われるとドキッとすんだろ? あれは稽古の続きをしてたんだ。あの子、ラヴシーンの演技がいまひとつでさあ」
「演技!? 本当に?」
「そ。俺は舞台に関しちゃ完璧主義だから相手役にだって容赦しないのさ。そうだ、そんなことより次の演劇コンクールで……」
指をピンッと鳴らし、茶目っ気たっぷりに苦手な右向きのピルエットでクルクルクルッと三回転した龍は、ピタッと止まって両手を広げた。
「個人賞を狙ってんだ。それで賞金をもらったら、好きなものをプレゼントするよ」
「え?」
「何でもいいから」
屈託のない彼の笑顔が眩しく見える。つい心魅かれながらも、今度は樹里が言い放つ番だ。
「だ・め・よ。大事な賞金なのに。それにお礼をするなら、劇団仲間や家族が先でしょう?」
「あのなあ…、誰が一番応援してくれてるかなんて、みんな分かってるよ。今日だって慣れない運転で来てくれたんだろ?」
「それくらい大したことじゃないわ。そうよ、リュウだって、たまには自分にご褒美すればいいのよ。全っ然オシャレじゃないんだから。賞金でブランド物とか買えば? ちゃんと美容院にも行って」
「やだよ。面倒くさい」
ファッションの国といわれるイタリアで一流のエンターテイナーを目指す割には、全く外見を気にしない龍である。そんな彼は呆れ顔をしていた。
「…ったく、ジュリまでそんなこと言うなよ。俺が着飾るのは舞台だけで充分さ。髪なんて伸ばしたら暑苦しくて死んじまうよ。俺のことはいいから、遠慮するなって」
パッチリ二重瞼の目の中に宿る純粋な少年のような漆黒の瞳。そこから放たれる真剣な眼差しに、心を動かされない人がいるのだろうか。
「そ、そこまで言ってくれるなんて…、本当にいいの?」
「たまにはジュリも我が儘言えよ」
「わかったわ。じゃあ…」
少し照れ臭さそうに声をひそめた。
「……輪、とか?」
「ん?」
「う、ううん何でもない! ネ、ネックレスがいいな!!」
「へえ〜、ホントにぃ? ホントにそれでいいんだ!?」
また人をからかうようにニヤリとした龍に、樹里は慌てて首をブンブンと縦に振った。
「うん、よーく分かった。絶対にプレゼントする。楽しみにしていて」
「ありがとう」
そこへ作業服を着た数人の男性が、工具箱や三脚を運びながら舞台袖に集まってきた。設備点検の時間らしい。スポットライトが舞台を眩しく照らしはじめる。
『おーい。誰でもいいから舞台に立ってくれー』
マイクを通した声が聞こえると、龍は待ってました、と言わんばかりに舞台に飛び出していった。
「リュウ、次の稽古に間に合わないわよ!?」
「どうせ先生も遅れてくるんだ。構わないよ!」
そう叫んで舞台の中央で得意のダンスを披露し始める。
まずは習ったばかりのバレエを完璧に踊りあげると、次はジャズやブレイクに変わっていった。
『おーっ、いいねえ!もっと踊ってくれよ!!』
何とも楽しげな雰囲気に一変する。龍に気付いた作業員たちが仕事中にも関わらず、手拍子をはじめて一斉にステップを踏みだしたのだ。
『よぉ〜し、ついでに音響チェックもするか。音楽かけて!』
巨大なスピーカーから流れてきたリズムに身を任せてヒートアップした龍は、樹里の手を強引に引っ張った。
「ほら、ジュリも一緒に踊ろう! 次にテンポが変わったところでリフトするよ?」
「ええっ? …キャッ!」
自分より20cmも高い183cmの身長に持ち上げられると −。