ピエモンテの風に抱かれて
− うわあっ! 高い −
見おろした観客席が小さく、とても小さく見える。そして上から降り注ぐスポットライトが数段眩しく感じられた。
フワッと床に降ろされると同時に音楽が止まり、周りからヒューヒュー! という口笛と拍手が沸き起こった。
龍が瞳を輝かせながら、肩で息をしている。
「俺がジャンプをすると、ジュリがいま見た目線の高さになるんだ。すごいだろ?」
一瞬見えた光景があまりにも印象的で頭から離れない。何も言えず目を丸くして頷く樹里に、彼は嬉しそうに続ける。
「この瞬間が好きなんだ。何千という観客に注目されると、世界を制覇したみたいで。俺が舞台に魅かれる理由、分かった?」
その言葉からも分かるように、誰もが持つであろう緊張やプレッシャーといった文字は、龍の辞書には存在しないのだ。
人に観られれば観られるだけ、意欲を燃やして才能を発揮する。
それは選ばれし者にしか与えられない特別なもの。エンターテイメントの申し子、と言っても過言ではないだろう。
まだポーッとしている樹里の耳に聴こえてきたのは、静かな懐メロのバラード。その昔、全米ヒットチャートNo.1だった曲だ。
< There's a hero if you look 〜〜♪♪>
「ワォ、この曲大好きなんだ。ほら、ここ! ここのコード進行が特にいいんだ! 」
「コード?」
「和音のことだよ。う〜ん、こんな歌が創れたらなあ」
樹里は首を傾げた。こんな時、話を合わせられない自分が悲しくなる。音楽用語はちんぷんかんぷんなのだ。
「彼女の独特のコード進行、えっと、つまり和音の流れね。何とも不思議なのに、作意は微塵も感じられないくらい自然だよな〜」
「そう言われれば何となく分かる気がするけど…」
本当は理解できないまま、樹里はとりあえず頷くしかなかった。
「でも胸にグサッとくるんだ」
龍は宙を見つめると、胸に手を当てながら続けた。
「メロディーと和音の流れ、それにぴったし重なる切ない歌詞の絶妙バランス…」
真剣に語る彼から目が離せない。ロマンティックなメロディーに、樹里は自分の胸にもグサッと何かが刺さり、頬が勝手に熱くなるのを感じていた。
それを察したのか察してないのか、龍はきびすを返して客席を見渡した。
「あ! このビブラートを効かせた歌い方も、たまんないなー」
そう言って英語で歌いはじめた龍のテノールが、マイクなしでも場内に響き渡った。
「もう、ちっともジッとしてないんだから…」
樹里は苦笑いをしながら歌声に耳をかたむけた。