ピエモンテの風に抱かれて
誤解と真実

20階までのエレベーターの中で、思わず樹里はつぶやいた。



「芸能人って、大変なのね…」



「うん、スッゴく大変。時々気が狂いそうになるって言ってたよね、アニキ?」



先に返事をしたのはレナだった。次に龍が静かに口を開く。



「一言じゃ言えないな。華やかな世界に見えるかも知れないけど、許せないと思うことなんて日常茶飯事さ…」



そう言った兄をジッと見据えたレナも、



「そう。大変だけど、私も女優になりたいと思って勉強してるんだよ」



「え、レナも? いつの間に!?」



龍の家族がトリノを離れた時、レナは12歳だった。その頃は龍と同じ道を歩む様子は全く見られなかったのに。



「ちょうどジュリ姉が日本に遊びにきてた頃、私NYにホームステイしてていつも擦れ違ってたじゃん? その時ブロードウェイで観たミュージカルに感激しちゃって!」



「へえ、アメリカは行ったことないな。ブロードウェイの舞台なんて、最高なんでしょうね」



4年ぶりに会ったレナは本当に綺麗になった。大人への階段を登る12歳から16歳にかけての成長には感心するばかりだったが、彼女自身も刺激的な体験を数多くしてきたのだろう。しかしそう言いながらも意外な告白もしてきた。



「…それにね、アニキが売れてきたら、私がアニキの妹っていうだけで友達になろうとするのがいて…」



いつも元気なレナが瞳を伏せている。樹里は彼女が本当に言いたいことが見えてきた。



「そんな人がいるんだ…」



「そうなの! アニキのファンで応援してくれるのは有り難いけど、すぐに < お兄さん紹介して〜 >なんて言われると、私なんてどうでもいいのかな? なんて思っちゃうよね」



そのまま音もなく停止したエレベーターを降り、まるで高級ホテルのような内廊下の奥へと進む。



「あ、もちろんいいコも沢山いるよ? でもやっぱり悔しいじゃん? だから真田龍の妹、ってイメージはなくしたいんだ。実力をつけて、本当に私自身を認めてくれる人と付き合いたいと思ってる」



人気者の兄を持つ妹の気持ちが手に取るようにわかってしまう。彼女も苦労しているのだ。



「だからさあ、人前では出来るだけアニキと一緒にいたくないのに、アニキったら、今日も大事なうがい薬忘れるしぃー。私はね、忘れ物係じゃないんだか…」

「レーナー、余計なこと言うんじゃなーい!」



レナの言葉を遮った龍が唇を尖らせている。ハラハラするどころか逆に微笑ましくなるような兄妹喧嘩に思わず目を細めると、いつの間にか一番奥の部屋の前まできていた。



鍵穴に鍵を入れなくても開いてしまう最新システムのドア。その床は大理石で敷き詰められ、長い廊下の先に見えたのは光り輝く東京タワー。



「さあ、どうぞ」



龍は樹里を先に通した。


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