夜香花
「桜が咲く頃には帰って来るって仰ってたのに〜。もう咲くよね? 蕾、もう開きそう」

 幼子が、傍の枝に視線を移してぼやいた。
 幼子が登った木は、桜の大木だ。
 新たな里を決め、おのおの居を構える場所を決めるときに、真砂がここを選んだのだという。

 新たに造られたこの里は、一つの大きな武家屋敷のような形を取った。
 真ん中の母屋を中心に、全ての棟が回廊で繋がっている。
 各人の家は、大きな屋敷の部屋一つ、ということになっていて、全体の周囲を高い塀が囲んでいる。

 その中の南の端が、真砂の家だ。
 こんな里の中でも奥まったところ、敷地もそう広く取れない。
 頭領なのだから、中央の広い母屋を、という皆の意見を退け、庭に桜の木があるこの小さな部屋に落ち着いた。

「父様も母様も、桜が好きね〜」

 木の上から、幼子が言う。

「この桜が咲くたびに、父様、上のほうまで連れて行ってくれますもんね。上から見下ろすとねぇ、すっごく綺麗なんですよ」

「そうね。お前が産まれるまでは、母様も父様と一緒に、上のほうまで登ってました」

「えっ! 母様も木登りを?」

 驚く幼子に、深成は少し懐かしそうに目を細める。

「母様だって、お前と変わらないぐらい、すばしっこかったのよ。木登りぐらい、お手の物だったわ」

「へぇ〜。じゃあ姫が大きくなったら、皆で上から桜を見ましょうね」

 わくわく、という風に、幼子が言う。
 そしてまた、辺りをきょろ、と見た後、あ、と声を上げた。
 回廊を、一人の老人が歩いてくる。
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