エリートなあなたとの密約
じりじり、と躊躇いがちに後ずさりしているその人物に、もはや苦笑しか出来ない私。
「あ、ハッピーおはよん」
「幸原くん、おはよう」
「おは、ようございます」
松岡さんに続いて私も引き攣った笑顔で挨拶を交わすが、その人物は一歩引いた姿勢のままで固まっている。
そんな彼は直属の部下で入社2年目の若手、幸原(さちはら)くんだ。
これは余談だけど彼が配属された日に、松岡さんが名字の一文字だけで“ハッピー”と呼んだ結果、今ではそのあだ名が部署全体に定着している。
「え、っと」と、言葉を選びながら私たちをチラチラと窺っている彼はようやく直立不動になった。
「ちょっと誤解しないでね!
松岡さんだよ!?あり得ないよ!」
そこで慌てる私も私だけれど、天地神明に誓って誤解だと新婚の身としては強く否定する。
「松岡さん!誤解されてますよ!もうっ!」
さらに未だ離れようともせず、背後で暢気に鼻歌を響かせる人に痺れを切らして鋭い視線を向けた。
「はいはい」
じつに愉快そうな声とともに、ようやく解放してくれる。私ははぁと嘆息しながら、ひとまずエレベーターを出ることにした。