エリートなあなたとの密約


「任せろっ!何十杯でも淹れるからな。姫専用のティーセットも自宅から持って来るぞ!
姫と奥さんは、それまで“一朶の間”で待ってろーーー!」

大声で叫びながら全速力ダッシュする彼の姿は、その場から瞬時に消えてしまった。

猫可愛がりする彼女のためならどんな苦労も厭わない、というより至上の喜びなのだろう。そして、そこに恋愛感情は一切ないらしい。

ほんの少し慣れたとはいえ、遠ざかる足音を視線で追っていた私。……やっぱりキラー・スマイルさんにそこはかとなく似てる、と。


ふたりきりとなった私たちは、自然と池の鯉を見つめていた。バタバタの日常とは大きくかけ離れた景色も心を和ませてくれる。


「名古屋に引っ越すまでは……小さい頃はあの庭でよく遊んでいました。
おばさまいわく、四季によってちょっと変えているそうですよ」

そう言った怜葉ちゃんを一瞥すれば、どこか遠くを見ているようで。その儚げな姿がふと、いつかの修平の面持ちと重なってしまう。

「へえ、素晴らしい庭だもん、贅沢だね。
それに緑って良いよね。目にも心にも優しくて」

だからこそ話題をそっと逸らす。

私のほうからは決して、探りを入れたり触れたりはしない。踏み込んではならない領域なのだと、かつて修平の時に感じたように。

「そうですよね、子どもの頃ってそういった情緒が分からないんですが。
ビルの中で働き詰めの今は、目の前の緑を見るだけで癒されますよね」

「もー、今日は身も心もお腹も満足っ!」

「あはは、それは良かったです。
真帆さんずっと美味しそうに召し上がってらしたから、それは伝わって来てましたけどね」

「ふふっ、食いしん坊は食に正直みたい」

お腹をさすってみせる私に、怜葉ちゃんはくだけた笑い方に変わったので嬉しくなる。

そんな彼女の案内で道なりに進んで行くと、突き当たりの梁に“一朶の間”と掛けられていた。


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