イチゴアメ
「行くよ!」というサトルくん。
そんな彼に連れられて、マミさんとサトルくんのお家を後にした。
そしてマンションを出ると、マンションの駐輪場に連れていかれて。
はい。と、手渡されたのは黒いヘルメット。
それをただ呆然と見つめた私から、すでに自分はヘルメットを被ったサトルくんが黒いヘルメットを奪い返して私の頭に被せた。
首の下でヘルメットから伸びた金具を固定して、サトルくんは駐輪場に置かれたバイクのエンジンをかける。
「乗って。」とバイクに跨ったサトルくんは私に声をかけるが、バイクの後ろになど乗った事のない私はどうしていいか戸惑うばかりで。
アタフタしてしまう私に、サトルくんはまたクスクスと笑みを零した。
「左足そこにかけて、ここにお尻を置いて、んで右足はここ。」
サトルくんの言う通りにすると、バイクの後ろ乗ることができた。
「大丈夫。そんなにスピード出るようなヤツじゃないよ。」
と言って、サトルくんはバイクを発進させる。
サトルくんの後ろに座れたものの、どうしていいか解らない。
でも、走り出したバイクは駐輪場を出てマンションの敷地を抜けると、大通りを進み出した。
後ろに乗せられてしまうと、私の意思では降りられない。
ここに座っているしか、私に選択肢はない。
急な加速ではないが、慣れない私にとっては十分過ぎる程のスピードが少し怖くて、サトルくんにしがみついた。


バイクの止まった先は、大きなビルの地下駐車場。
車一台分を止めるためのスペースにはだいぶ小さく感じられるバイクを停めて、サトルくんはバイクから降りた。
「降りれる?」
ヘルメットを取りながら聴いてきたサトルくんに頷いて、私も地上へと降り立つ。
ヘルメットを留めた金具を外すのに四苦八苦してしまった私の首のあたりにサトルくんが片手を伸ばしてきて、すんなりと外れた金具。
ヘルメットも外してくれた。
風に煽られてバサバサになった髪の毛に手櫛を通していると、ヘルメットを二つバイクに固定したサトルくんは駐車場の中を歩き出す。
私もそれに続いた。
「どこに行くんですか?」
サトルくんの背中に向けて尋ねる。
「会社。うちの事務所。」
返ってきた言葉に耳を疑った。
それって、サトルくんの居るバンドの所属する事務所ということだろうか?
そんな所に何故私を連れてきたのだろうか?
様々な疑問が頭の中に浮かんだ。
サトルくんは駐車場からエレベーターに乗った。
私もエレベーターに足を踏み入れると、エレベーターのドアは閉まる。
上の階へと昇ってゆくエレベーターは、やがて停止してドアを開いた。
エレベーターを下りるように、背後から背中を押された。
私の後ろに立つサトルくんの仕業だろう。
素直にそれに従い、フロアに出る。
そこはこの階ひとつ分がまるまるワンフロアであるかのような広い空間。
そのフロアを奥へ奥へと進んでゆくサトルくん。
それについていくと、学生服姿の私は服装で悪目立ちをしてしまうようで、もの珍しそうな顔で私を見る人がたくさん居た。
「お疲れ様です。ちょっといいですか?」
言いながら立ち止まったサトルくん。
サトルくんの向こうにはスーツ姿のおじさんが居た。
「休みの日にわざわざここまで…。どうしました?」
おじさんは背の高いサトルくんの背中に隠れるように立つ私にも気付いたみたいで、私の顔を訝しげな目付きで見た。
「とりあえず、向こうに。」
言いながらおじさんは席を立ち、フロアの奥へと足を進めた。
サトルくんもおじさんについてゆくので、私もサトルくんについて行った。
行った先は、パーテーションで区切られた小さなスペース。
応接セット風の椅子が4つ小さなガラステーブルを囲むように置かれていた。
そのうちのひとつの椅子にサトルは座る。
座れた椅子の隣の椅子を指差してサトルくんがこちらを見るので、私もサトルくんの隣に座り、バッグを膝の上に置いた。
おじさんはサトルくんの向かい側へと座り、開いた両膝に両肘をついて指を組む。
「こないだお断りさせてもらったんですけど、俺にも一人スタッフを付けるって話。まだ有効ですか?」
サトルくんの問いかけに、おじさんは頷く。
「じゃあ、それ。このコで。サツキちゃんです。」
このコ。と掌で私を示したサトルくんは、私の名前を口にした。
「いや。サトルさん。このコって、あなた…」
困った様子で眉を顰めるおじさんは、まじまじと私の姿を見て言った。でもそのおじさんの言葉にサトルくんが割って入る。
「見ての通り高校生ですので、正規雇用ではなくアルバイト。18歳未満ですから就業は学校の終わった夕方から22時まで。時給は本人と相談してもらって、なるべく経費も抑えられるんじゃないかと。そういった感じでしたら、他の部分に経費をかけさせてもらえるでしょうし、俺はスタッフを付けていただいても構いません。」
「いやいや、さすがに高校生には…」
「俺に付けるスタッフなら仕事内容は簡単な荷物持ちや買い物程度。こちらの社員では勿体無い。高校生のアルバイトで充分です。その分浮いた経費を機材に回してもらえれば他になにも言いません。それが難しいようであれば、ちょっとメンバーで話し合ってきても構いませんか?」
「それは…!?……。」
サトルさんが早口にまくしたてると、今度はおじさんは黙ってしまった。
「雇用契約書は本日制作していただけますか?」
サトルくんが言うと、おじさんは席を立ってパーテーションの向こう側へ出て行ってしまった。
お父さん位の年齢のおじさんに、早口で言葉を向けたサトルくん。
お家に居た時のようなくるくると変わる表情も、綻んで笑みを描く口元もそこには無く無表情のまま。
別人なんじゃないか?とすら思えてしまう。
そんなサトルくんの姿にびっくりしていると、おじさんは複数の紙を持って戻ってきて再び席につく。
そして、おじさんはテーブルの上に紙を並べた。
「こちらが雇用契約書と就業規定。」
「サツキちゃん、ここに名前と住所書いて。」
ここ。と、サトルくんが紙の一部分を指差した。
おじさんがボールペンを差し出してくる。
差し出されたボールペンを受け取り、サトルくんを見上げる。
何も言わずに私を見たサトルくんはすぐに指差す紙へと視線を戻した。
なんか変な契約書とかじゃないよね?
いささか不安を感じながらも、私に拒否する術は見つからない。
サトルくんに言われるまま、名前と住所を書いてしまった。
「では、失礼しました。」
そう言ってサトルくんは席を立ち、私の右手首を左手で掴んだ。
サトルくんに引きずられるようにしてまたフロアをエレベーターの方へと進んでゆく。
そして、エレベーターのドアが開くとそれに乗り込んだ。
エレベーターの中は他に誰も居なく、二つだけ。
「あの。今の契約書って、なんなんですか?」
未だ掴んだ手首を離してくれないサトルくんに聞いた。
「バイトするって言ったろ?俺の付き人。」
「はい?」
そんなの知らない。聞いてない。
「まー。たいしたことしなくていいからさ。俺の仕事場で笑顔でいてくれりゃ、それで充分。」
エレベーターが止まり、扉が開く。
そこは地下駐車場。
エレベーターから降りるサトルくんは、ここでやっと私の手首を離してくれた。
「あの。うちの学校、バイト禁止です。」
エレベーターから駐車場へと私も踏み出し、言った。
「どーせバレないからいいんじゃない?それに、立派にバンギャやるならバイトしてお金稼がなきゃ無理だよ。意外と金かかるんだから。」
「あの。」
「難しく考えないで。俺といれば付き人としてバイト代がもらえるわけ。それでブルームーンのライブでも好きに行けばいいし。それに、言ったでしょ?俺がサツキちゃんを立派なバンギャにしてあげるって!」
バイクの前まで歩いてきたサトルくんは、私を振り向いてまた悪戯っ子のような笑みを浮かべてみせた。
それは先程のおじさんと話をしていた時とは違う、私の知ってるサトルくんの顔。
「はぁ…。」
サトルくんの意図はよくわからないが、確かにライブに行くのはお金がかかる。
ライブのチケットの代金と交通費とか、お小遣いだけで賄おうと思うと数ヶ月に一度が限界だ。
でもバイトをすればもっとライブに行けるかもしれない。
もっとブルームーンを見れる。もっとユキを見れる。そう思うと、サトルくんの言うとおりにした方がいいのかな?なんて思ってしまう。
「でも。バイトってなにをするんですか?」
「なにって別に……そうだな。じゃあ、今からバイトってことで。はい。乗って。」
はい。と、再びヘルメットをかぶせられる。
サトルくんに促されるままバイクの後ろに跨ると、サトルくんはバイクを発進させた。
駐車場を出て、広い道を渋滞している車の脇をバイクはすり抜けて行って、大きな駅のある繁華街へと出た。
駅前で自転車やバイクが駐輪されているあたりの歩道にサトルくんはバイクを停車させる。
「先に降りちゃって。」
サトルくんに促されてバイクから降りると、その列に並べるようにしてサトルくんはバイクを置いた。
ヘルメットを外してもらって、風でバサバサになった髪の毛を私が手櫛で直している間にサトルくんはヘルメットを二つバイクに固定して、サングラスをかけた。
色が濃いめでレンズも大きめなサングラスは、サトルくんの顔を半分隠して、表情も見えなくなる。
「食べる?」
そう言いながら手渡されたのは、白い地にイチゴの絵がついた小さな包み。
イチゴミルク味のキャンディ。
「ありがとう。」
甘いものは大好きなのでありがたく受け取ると、サトルくんも同じ包みを開いてパステルピンクのキャンディを口に放った。
歩道を歩き出したサトルくんの後ろをついて歩きながら、先程もらったアメを私も口に入れる。
とたんに広がる甘ったるさとイチゴの香り。
練乳のような優しい甘さがなんだか懐かしい。子供の頃から慣れ親しんだ味だ。
そんな可愛らしいキャンディが、今目の前を歩く背の高い男の子も舐めていると思うと、そのギャップが少し面白く感じられた。


サトルくんがやってきたのは、男性ものの洋服ばかりが置いてあるお店だった。
私が足を踏み入れた事のないタイプのお店。
そこの店員さんとサトルくんは顔見知りなのか、サトルくんがお店に足を踏み入れるなり店員さんが寄ってきて、サトルくんに挨拶をした。
大きなサングラスで顔の半分を隠したサトルくんの姿に気づくとは、だいぶこのお店の常連さんなのだろうか?
私が何も知らずに今のサトルくんを見ても顔が半分見えないのでサトルくんだと気付かない気がするもの。
とても仲良しなんだろうな。と、男性の店員さんを見ていると、店員さんも私に気付いて笑顔で会釈をしてくれた。
ファッション雑誌から飛び出てきたように、オシャレでかっこいい男性の店員さんに会釈を返す。
店員さんと話し込むサトルくんの後ろで、口の中のイチゴのアメをガリガリと歯で噛んでいると、アメが砕けて練乳の甘さが広がった。














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