ほどよいあとさき
忘れたくても忘れられない、あの日のあの言葉。
夏乃さんが私に言い放った言葉を思い出す。
『椎名くんと別れなければ、この会社をめちゃくちゃにするから』
そう言って、まるで般若のような厳しい顔で私を睨みつけた人と同一人物だとは思えない、今、目の前にいる落ち着いた様子の夏乃さん。
私の戸惑いに気づいているはずなのに、そんなこと何てことないように話を続ける。
「私ね、本当に椎名くんのことが好きだったのよ。彼の部屋に私の物を持ち込んで、食器や家具も私好みに揃えてね」
知ってる。
椎名主任の部屋には夏乃さんの存在を感じさせるものばかりがあった。
玄関に置かれていた傘立ても、ベランダに敷かれていた芝生のラグも。
どこもかしこも夏乃さんが選んだもので溢れていた。
私と付き合うようになってもそのままにしていた椎名主任に、何度それが嫌だと言おうとしたことか。
……結局、質のいいものばかりで捨てるのももったいないという私の生来の節約気質が邪魔をして、何も言えなかったけど。
「椎名くんのことは別れたあとも忘れられなくて。今思えば私どうかしてたって震えるようなこともしでかしちゃって……。いつかは椎名くんとよりを戻せるんじゃないかって期待してたみたいね。まあ、その可能性がないって、ちゃんと認めていれば良かったんだけど。
神田さんにもきついこと言って、私ってどうかしてたのかな」
「あ、あの……?」
「同期だから、別れたあとも接点も多いし、私との将来なんて考えられないって言ってた椎名くんが、いつか私のもとに戻ってくるかも、なんていう期待もあったし」