トイレキッス
洋平は受話器を置くと、部屋にもどってジャンパーをはおった。出かける前に、母親に事情を話すと、母親は顔を青くして、早よ行き早よ行き、と急かしてきた。
そこで、ようやく実感がわいてきた。脇の下に汗がにじむ。心臓の鼓動が、唐突に激しくなる。
家を飛びだすと、洋平は自転車に乗ってあわてて病院へむかった。
病院に着くと、正門前で仁さんが待っていた。門にもたれて、額をおさえてうつむいていた。洋平が声をかけると、仁さんは、はっと顔をあげた。
「おう、すまんの、こんな時間に」
「いえ」
ふたりはならんで病院の中にはいった。
「三田村の治療室は三階やけん」
「はい」
病院内は静かだった。
ふたりの足音が、長くはっきりと響きわたる。
三階にあがると、甲高い泣き声が聞こえてきた。
「三田村の母ちゃんよ」
仁さんが小さくつぶやいた。
治療室の前に、三田村の両親がいた。ふたりとも、魚屋の前掛けをつけたままだった。おそらく店の仕事中に病院に呼ばれて、そのままの格好で来てしまったのだろう。
母親が、長椅子にもたれかかり、うめくような声で泣きわめいていた。それを父親と看護婦が必死でなぐさめていた。
洋平達に気付くと、父親はおじぎをした。洋平も無言でおじぎを返した。
「麻見君、よな?」
父親が洋平に聞いた。
「はい」
「ちょっと、ついてきてくれ」
そう言って、父親は背をむけて歩きだした。仁さんにうながされて、洋平はそのあとをついていった。