妖花
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「せっかく妖花が花開いていたのに」
段田は妖花屋に赴いた菊之助を、さっそく追い返さんばかりの顔つきで迎えた。
段田の細く長い指は、例の、眼球を持つ花が描かれた掛け軸を差した。
しかし以前に見た絵とは少し違って、花の花弁は閉じられ、蕾となっている。
「花が閉じてしまったじゃないか。
せっかく咲いていたのに」
段田が仰々しく嘆く。
なんと理不尽なこじつけだ。
花など咲けばいつかは閉じ、散るものだろうに。
しかも、閉じた花は掛け軸の絵だ。
絵に描かれた花が動くはずがない。
菊之助は掛け軸を凝視しながら思う。
どうも悪魔なるものは、人を悪い気分にさせるのが好きらしい。
「なんで俺のせいなんだい」
菊之助が返した。
「君がいきなり入ってくるから、妖花が驚いて花を閉じてしまったのだよ」
「人のせいにするなよ。
絵の花がそんな理由で咲いたり閉じたりするもんか」
「普通なら、ならない。
だがここにある物はなるのさ。
これらは昼夜を悪魔の傍で過ごす。
それで私たちの魔力を少なからず受けているからね。
そこらのものとは違うのさ」
魔力とは何ぞや、と菊之助は首をひねる。
それをしかと見た段田は、表情の切り替えが恐ろしく早かった。
花唇を吊り上げ、格下の者をあざけ、蹂躙する悪代官さながらの噴き笑いをした。
「おや、これはすまなかった。
魔力といっても君は存じないだろうなあ」
なんたって、君は知恵の浅い子供だからね。
そんな一言が余分に発されるような気がして、菊之助は、どかん、と富士山を噴火させた。
「悪魔の言葉なんて、俺たちが知ってるわけないだろーっ」
「はは、それは申し訳ない。
私はてっきり、君が」
「俺が子供だから知らないんだと思った、って言うんだろ」
「うむ。
その通りだよ、子供侍」
「誰が子供だっ」
おっとっと。
段田に飛び掛かろうとして、菊之助はすんでのところで動きを止める。
近所の女たちの、教訓の一説を頭に呼び起こした。
些細な喧嘩においては、先に先手を打った方が負け。
富士山が火を噴くのをやめる。
菊之助は咳きこんで、
「いや……俺あ、喧嘩しにここに来たんじゃない」
「喧嘩?君がひとりでに怒りだしたんだろう」
悪辣に、段田が棘のある言いかたをする。
耐えろ、俺、と菊之助は心の内で暴れる馬にくつわをかける。
「それで、まだ、仕事は入ってきてないのかい?」
「ああ、まだだな。
なにしろ件の黒煙の怪物とやらのせいで、江戸の妖はこぞって山へ逃げてしまったからね」
妖がいなくなっては、それに伴って妖に困らされる人間もいなくなる。