伯爵令嬢は公爵様と恋をする
Vol.10





 少しずつ彼の心が見えてくる。
 掛け違えたボタンを最初から直してみれば、あっけないほど簡単に絡まった糸は解け始めた。
「私が欲しいのは貴女の心だよ」
 それはとてもこそばゆくて照れくさいものだったけれど、彼が言うと何だかとても自然な言葉のように聞こえた。
 望んでいるのは私自身だという彼の言葉を素直に信じると、言葉にせずとも彼の本心が見え隠れする。
 そうして互いに歩み寄れたところで、改めて「誓いの証」が差し出された。
 エンジ色のビロード地で出来た箱が開かれると、そこには小さく煌めく金剛石の指輪。
 控えめだけれど、職人の高い技術によって最高に磨き上げられた本物の輝きを放っている。
「これは…」
「はめてみてほしい。そうだな、右手のここに」
 とん、と彼の指が示すのは私の右薬指。
 驚いて彼の顔を見上げる。
 だってここは婚約を意味する場所。
 すると彼はさっと指輪を手に取って、難なく指輪をはめてくれた。
「びっくりした顔だな」
「あ…」
「性急すぎる、か?」
「あ、いえ、あの」
 突然の事にあたふたしてしまう。
 確かにこんなに早く指輪をはめるとは思わなかった。
 最初から妻に望んでくれていたけれど、もう少し先の話だと思っていたから。
 もちろんこうしてここにいる以上、世間一般の「お付き合い」とは違うと思うけれど、いきなり婚約になるなんて。
 それでディー様はいいの?
 視線で問いかけると
「心配いらない」
 穏やかな笑みが返ってくる。
「これは貴女を護るためのものでもあるんだ」
「どういうことですか?」
「少々強引な手を使ってアウラー男爵との婚約を白紙に戻したから、より確かな証明が必要なんだ。私たちの間には」
「…強引な手、って…」
 一体どんな手を使ったんだろう。
 ディー様はさっきよりあからさまに「きれいな」笑みを浮かべた。
 誤魔化してる。
 潔いくらい分かりやすいその表情に逆に心配になる。
 あの男爵相手に強引な方法をとるなんて、他の人なら絶対に避けるだろう。
 どんな仕返しがくるか分からないもの。
 砂糖に群がる蟻のように、男爵の周囲には金に群がる亡者がたくさんいる。
 人より豊富な財を手に入れるためなら手段を厭わない、そんな人ばかりが集まっているのだ。
 酷い報復だって考えられるのに、ディー様は悪戯っ子のように肩をすくめて見せるだけ。
「大丈夫、それがあればアウラー男爵とて迂闊に手は出してこない」
 そう言われるとそんな気がしてしまうから不思議だ。
 でも私の心配は他にもある。
 一目惚れも、もしかしたら「運命の出会い」という言葉も、信じていないわけじゃない。
 だけどこれから先も彼の想い通りの私であるかどうかは保証がない。
 一時の感情で決めてしまえるほど簡単な事でないことも知ってるの。
 あなたは私と違ってたくさんの人に必要とされている。
 この国の中心に一番近い人だから、簡単に判断を誤るわけにいかないでしょう?
「ディー様、本当に私を妻にしていいんですか?やっぱり他に相応しい人が・・」
「エル」
 ぴたり、彼の人差し指が私の唇を塞ぐ。
 え…。
 その視線は鋭利なナイフのように鋭くて、明確な意志を持って私の言葉を遮っていた。
 怖くはない。
 けれど抵抗することは許されない。
 視線をそらすことも、許されない。
 彼は一定の穏やかさを保ったまま、相手の言動を封じることができる。
 それも言葉や動作などは必要ない。
 視線だけで有無を言わさず相手を黙らせることができるのだ。
 これがディートリヒ・バウムガルト公爵という人。
 敵対すれば間違いなく敗北が待っている。
 そんな気がした。
 もしかしたらこんなふうに彼はアウラー男爵を黙らせたのかもしれない。
 悠然と敵を捻じ伏せる百獣の王のように。
 でも。
 全ての抵抗を放棄した私に気付いた彼は、不意に軽い口づけを額にくれた。
「他の人なんていない。代わりはいないよ。確かにたった一夜の逢瀬で決めてしまうのは軽率かもしれない。ほんの短い時間で、未来永劫を誓うのは不安かもしれない。けれどだからと言って貴女以外の女性に惹かれる事は有り得ない」
「…どうしてそう言えるの?本当の私はあなたが思うほど魅力的じゃないかもしれないわ」
「それは本当の自分を知ってほしいという気持ちの裏返しかな」
「えっ?」
 ゆったりした口調なのに、鋭く確信をついてくる。
 そんな指摘をされるなんて。
「分かるんだ、私も同じだから。不安で仕方ない。こうして想いを伝えて心を通わせることができても、貴女が望む男性像が分からないからいつか幻滅させてしまいそうで」
「そんな…!」
「有り得ない話ではない。社交界の噂の中で私のイメージは勝手に膨らんで独り歩きしてしまっている。実物と接してようやく想像と現実が違うことを知る女性は少なくないよ」
「だからってあなたに幻滅するなんて、勝手すぎるわ。噂もイメージも自分たちで勝手に作り上げたものでしょう?実際のあなたをよく知っている人ならイメージと違うからって幻滅したりしないはずだわ」
 理不尽な話に思わず力を込めて反論してしまう。
 だっておかしな話よ。
 いつだって女性の噂話はそう。
 自分の好き放題アレンジしたり大きくしたり、真実がどうかなんてどうでもよくしてしまうの。
 挙句の果てに虚像と実物が違いすぎると文句を言ったりする。
 騙されたって訴える女性もいるくらい。
 いくらなんでもそんなの酷い。
 本当の彼をちゃんと知り始めたら、幻滅なんてしない。
 最初は正直何を考えているのか分からなかったし、彼の言葉に傷ついたりもしたから印象は良くなかったけど、彼はそれでも逃げたりせずに向かい合ってくれた。
 今だって決してスマートではないけれど、一生懸命伝えてくれる。
 真っ直ぐに見つめてくれる。
 そして、私の小さな心のささくれにも気付いてくれる。
「少なくともあなたの優しさを知れば、嫌いになったりしないわ」
「そう思ってくれて嬉しいよ」
 互いの額をつけて、彼の大きな手が私の右肩をそっと引き寄せる。
 そのままもう片方の腕も右肩に伸ばされて、抱きしめられる形になった。
「私たちにはもう少し互いを知る時間が必要だ。未来を誓っても不安を感じないくらいに、互いを愛する時間が。でも今は「予約」をしておかなければいけないんだ」
「…アウラー男爵がいるから?」
「ああ、それもある」
「それ、も?」
「男爵がいなくても、私の気持ちがどうしようもなく貴女を欲してるんだ。だから徹底的に嫌われるまでは他の誰にも邪魔されたくない」
「そんな人いないと思うけど」
「貴女は自分を知らな過ぎるんだ。これの威力はそんなに高くないぞ」
 しなやかな指があっという間に眼鏡を取り上げる。
 眼鏡の威力なんて考えたこともなかったけれど、コンプレックスであることは確かだ。
 かけていないと近くにある彼の顔もぼやけてしまう。
 でも眼鏡をかけた自分の姿は何だか少し滑稽で、きらびやかな世界は似合わないと思ってきた。
 そんな私が今は社交界一の憧れの的である彼の腕の中にいるなんて。
 明日になったら夢となって消えてしまいそう。
「不安がらなくていい」
 私の気持ちはすっかり顔に出ていたようだ。
 彼はいっそう私を強く抱き寄せて、しっかりと強い腕で包み込んでくれる。
 耳に届くのは彼の穏やかな鼓動。
 とくんとくん、と規則正しい音に安心する。
「ゆっくりでいい、私を知ってほしい。同じように私も貴女をきちんと知って理解するから。同時に貴女の不安も全て取り除きたいんだ。貴女が抱えているのは私への不安だけじゃないだろう?」
「ええ…。本当は今でも怖いの。アウラー男爵が大人しく引き下がるとは思えなくて」
「ひとまず遠ざけはしたが、正直なところこれからが勝負だと思う。彼が仕掛けてくるのも時間の問題だ」
「一体どうするの?」
「調べを進めてる。その上で彼のしっぽを掴むつもりだ。ただそのためには貴女の協力も必要になる。辛いことを思い出させることになるかもしれない」
「…もしかして、お父様の事?」
「ああ。事件の詳細を知りたいんだ」
「全て話せばいい?」
「そうしてくれると助かる。ただ一つだけ約束してほしい」
「何?」
「最後まで父君の事を信じていてほしいんだ」
「え…?」
 それは初めての言葉だった。
 誰もが疑惑の目を父に向けた。
 ほとんどの視線が有罪であると父を見ていたのに、ディー様は違うの?
「大丈夫、貴女を育ててくれた人だよ。悪人なはずがない。必ず真実を明らかにして父君の汚名を晴らすから、私に任せてくれるね?」
「…はい」
「そうとなれば私の腕の見せ所だな。出来るだけ早く解決しよう」
 俄然やる気を出したディー様は明るく笑う。
 彼のそんな姿は私を勇気付けてくれる。
 私はお父様を信じたままでいい。
 今までだってずっと信じていた。
 誰に何と言われようと私だけはお父様の無実を信じていたけれど…それを公言することは許されなかった。
 それをディー様は許してくれた。
 認めてくれた。
 急激に目頭に熱がこみ上げて、涙があふれてくる。
「気が済むまで泣くといい」
 ディー様が優しくそんなことを言うから、涙は後から後から頬を伝って、何度彼が拭ってくれても止まることはなかった。






 続く
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