伯爵令嬢は公爵様と恋をする
Vol.12 (ディー視点)



 近頃の朝の日課と言えば庭園や敷地内を散歩することだ。
 もちろん隣にはエルフリーデがいる。
 薔薇園を気に入ったらしい彼女は毎朝そこへ行く。
 彼女によく似た薄桃色の薔薇は「ニュー・アヴェマリア」というそうだ。
 エルにとって大切な思い出を呼び起こすこの薔薇は特別なもので、甘い香りを嗅ぎながら温かな記憶に浸り、埋められない喪失感を少しずつ癒しているようにも見えた。
 早く全てを取り戻してあげたい。
 とはいえ何よりも大切な両親を生き返らせることはできないが、せめて生まれ育った屋敷や共に過ごした人々くらいは返したい。
 既に借金の返済と共に屋敷の権利書も取り返しているから、いつでもエルを屋敷に連れて行くことは可能だ。
 が…今は危険だろう。
 完全にアウラー男爵の息がかかった者たちに包囲されている。
 屋敷の敷地内には私の衛兵たちが詰めているから易々と侵入されることはないが、権利書がこちらにある以上いずれエルが戻る事を予測しているはずだ。
 今頃手ぐすねを引いて彼女を待ち伏せているに違いない。
 正攻法で挑んでくるとは到底思えず、仕掛けてくるとすればアウシュタイナーの屋敷に戻ったエルを拉致・監禁する方法だろう。
 そして強引にエルを自分のものにするはずだ。
 自分の身に危険が及ばぬよう、誰かを雇って確実に証拠を隠滅するような小賢しいやり方で。
 今まで女性からの訴えが上がったことはないが、彼が数々の女性を好き勝手してきたことは事実だ。
 自ら吸い寄せられた女性も、彼の毒針に捕えられた女性も、結果的に誰もが彼の思惑通りになっている。
 必死の訴えも取り合ってもらえずに涙を呑んだ女性たちは、ひっそりとこの街を去っていた。
 行方は知れない。
 それが現状だった。
 おかしすぎる。
 男爵の一人にすぎない彼がこうまで完璧に罪を問われぬまま好き勝手をしていられるなんて。
 汚いやり口で荒稼ぎし、その金で見せびらかすように豪遊しながら、常に派手で頭の悪そうな女性を何人も侍らす彼は、姿形がよかろうとも決して魅力的とは言えないだろう。
 ところが困ったことにそんな彼に吸い寄せられるのは、あっけないほど簡単に彼の財力と甘ったるいだけの言葉に騙されてしまう「可哀相な」女性たちばかり。
 彼女たちは社交界にも恥じることなく顔を出すから、あることないこと噂は一瞬で広まって何人もの被害者が作られてしまうのだ。
 とても小悪党に出来る真似ではない。
 女性たちを弄ぶ一方で彼女たちのネットワークを巧みに利用して情報を操作する。
 さらに彼が金目的で狙うのは、自分より財力のある人間ばかり。
 それなのに一切彼に繋がる証拠は挙がらない。
 全ての事件に関して、前後の状況や情報によると限りなく黒なのはアウラー男爵なのに、だ。
「ディー様?」
 不意に小鳥のような声に呼ばれる。
「ん?」
 我に返って反応すれば、彼女は心配そうな瞳でこちらを見上げていた。
 それからそっと彼女の指先が私の眉間に触れる。
「どうした?」
「何だかとっても難しそうなお顔をしていたから。考え事ですか?」
「いや、大丈夫だ」
 触れられた所が無性にくすぐったくて思わず笑みを漏らしてしまうと、エルも小さく笑って私の手を取った。
 そういえば…。
 ふと疑問が浮かぶ。
 アウラー男爵の周囲にいた女性たちとエルはまるで違う。
 真逆と言ってもいい。
 一体彼はどうしてエルに目を付けた?
 本来の目的がアウシュタイナー伯爵の財産や身分だったとして、エルは単なる付加価値なのか?
 それにしては執着しすぎている気がする。
 確かにエルとの結婚は彼にとって伯爵位を得る絶好の機会だ。
 けれど私が介入した後ではリスクが高すぎる。
 さっさと次の獲物を狙った方が効率がいい。
 伯爵令嬢など彼の周りにはたくさんいたはずだ。
 アウシュタイナー伯爵よりずっと簡単に罠に陥れることの出来る伯爵だってたくさんいる。
 むしろアウシュタイナー伯を陥れるのは難しかったに違いない。
 彼は良識ある賢明な人物で、味方もたくさんいた。
 簡単に騙されるような人間ではない。
 政治にも明るく研究熱心で、その論文は陛下の目にも触れているし、いずれ議会の中心メンバーの一人に迎えたいと仰っていたほどだ。
 そんな人間をどうやって陥れる?
 ひとたび失敗すれば間違いなく自分は牢の中だ。
 それほどのリスクを冒してまで彼を狙い、伯爵位を手に入れたかったのだろうか。
 …有り得ない。
 手元に集まった情報だけを見ても彼はハイエナのような男だ。
 権力に弱く長いものに巻かれるタイプだろうが、自らが権力を手に入れてどうこうしようと思うほど肝が据わっているとは思えない。
 まさか。
 黒幕が他にいるのか…?
「エル、父君の周囲にいた人間を覚えているか?」
「え?お父様の…?」
「決して親しくはないが、何度も父君に会っている人物だ。心当たりは?」
「…どうかしら…お父様はむやみにたくさんの人を招待するようなことはなかったから、舞踏会にいらしてくださる方々はみんな仲のいい方ばかりだったし、普段お屋敷にいらっしゃるのもお父様のお友達ばかりだったと思うわ」
「仲違いしている様子は?」
「ありません」
 それなら男爵や黒幕と接触したのは屋敷以外か。
 まずは伯爵が日常的に通っていたような場所で情報を集めるのが先だろう。
 今もこの件についての調査は毎日進めているが、糸口が見つからないのだ。
 地道に探すしかない。
 けれど考えが至ってふと気付く。
 淡い色の薔薇と戯れていたはずのエルがこちらを見上げて、殊更不安げに瞳を揺らしていた。
「まさか事件にお父様と親しい方も関わっているの?」
 その問いかけに嘘もきれい事も返せない。
 エルの瞳はどこまでも真っ直ぐ私を見つめている。
 また私は彼女を傷つけているのだろうか。
 きっと返答次第でさらに辛い思いをさせるかもしれない。
 が、エルははっきりと
「ディー様お願いです。本当の事を言って?」
 凛とした表情で告げた。
 真実を知るのは怖いだろうに、どうしてエルは向き合えるのか。
 女性がか弱い生き物だというのは半分本当で、半分嘘なのだろうな。
 エルはどんな真実からも逃げないだろう。
 私は意を決する。
「正直なところ真相はまだ分からない。伯爵の知人が関わっているかもしれないし、全く違う人間が関わっているかもしれない。だからもう少し情報を細かく集めてみるよ。時間がかかるかもしれないが…」
 必ず真相は解明するから。
 だから貴女は安心してここにいればいい。
 貴女を護る両腕はここにある。
 この数日間で何度こうしただろう。
 エルをふわりと抱きしめて、腰までなびく長い髪をゆっくりなでる。
 しっとりした手触りが心地良い。
「大丈夫ですよ、ディー様。何があっても、私はあなたを信じていますから」
 その言葉だけで私はどこまでも突き進んでいける。
 今の自分なら怖いものはないと、宣言できる。
 私はしっかりとエルを抱きしめた。






 続く
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