伯爵令嬢は公爵様と恋をする
Vol.13 後編



 スギライトというらしい。
 こんなこともあろうかとディー様が用意してくれていたのだ。
 私が悪夢にうなされると予想していたのだろうか。
「まるで魔法使いだわ」
 どこまで考えの及ぶ人なのだろう。
 もしかしたら心配性なのかもしれない。
 些細な優しさが心に沁みていく。
 紫色の石は温かな光を宿している。
 ここ数日間でディー様との距離は随分縮まった。
 彼の不器用な言葉に振り回されたことは一度もない。
 言葉に出来ない感情は全て彼の行動に現れるから、素直にそれを受け止めれば良い。
 あれだけ不安だった男爵の事もほとんど気にならなくて済んでいた。
 ディー様はあまり事件について触れずにいる。
 お屋敷には彼が雇っている諜報員らしき人たちが出入りしているから、情報収集は続いているようだけれど、あからさまに事が進められている様子はなかったし、直接私から話を聞き出すようなこともなかった。
 いつか話す時がくるのだろうけど「今」でないことは私を随分安心させてくれた。
 だってまだ辛いから。
 お父様が亡くなってひと月もたっていない。
 あの時の光景は目に焼き付いて忘れる事なんて一生出来ないだろう。
 怖いとか、不気味だとか、そんなことじゃなくて、ただ大きな暗闇に飲み込まれた、そんな感覚。
 それを何故夢に見たのか。
 喪に服してはいるけれど、ディー様やイリーネ様たちのおかげで落ち着いた生活を送っているのに。
 ゼルダには大丈夫だと言ったけれど、今夜はこれ以上眠れそうになかった。
 静かにベッドを降り、ベランダに出る。
 深い夜の静寂に包まれた辺りは澄んだ空気が漂い、ちかちかと音がしそうなほどたくさんの星たちが夜空を埋め尽くしていた。
 少し肌寒い。
 両腕を抱えるようにして自分の体を抱きしめれば、掌の体温にほっとする。
 こんな風に夜空を眺めるのは何度目だろう。
 ここに来る前に見上げた夜空は美しかったけれど、とても痛くて苦しかった。
 次に見上げた時はディー様の綺麗な横顔があって、彼に「星(シュテルン)」だと言われて照れてしまった。
 そして、今は…。
 久しぶりに見た悪夢のせいで、心の奥に刻まれた傷が疼いている。
 殊更夜空の明かりが温かく思えて、余計に胸が締め付けられる。
「どうして…」
 何度自問しても答えの出ない疑問が頭の中をぐるぐる回り続けていた、その時だった。
 不意に体中をふわりと柔らかなぬくもりが包み込む。
「こんな時間に外に出るなんて、感心しないな」
 彼の言葉は僅かに咎めるような口調で、私をしっかりと抱きこむ。
「ディー様、どうして?誰も来るはずないと思ってたのに」
「そこのガラス扉を開けた音がしたから」
「ごめんなさい、あなたまで起こしてしまって」
「いいよ、気にするな。私も時々夜中に目が覚めるんだ」
「今夜も?」
 冗談めかして問い返せば、ディー様は答えずに微笑した。
 彼はこうして答えを曖昧にするのが得意だ。
 些細な事なら簡単に煙に巻いてしまう。
 これじゃ起きていたのか起こしてしまったのか分からないじゃない。
「誤魔化さないで」
 口を尖らせると、背後から頬に軽く口づけされる。
 もう。
 私が真っ赤になって照れてしまうのを知っている彼は、時々こうして私の意識を逸らそうとする。
 もちろんそれが私を思っての事だと分かっているけど、申し訳ないと思っている私はちょっとだけ、ほんのちょっとだけ悲しくなる。
「ディー様にはいつも心配をかけてばかりね」
「得意なんだ、心配事は」
「過保護ね」
「うっとうしい?」
「え?」
「イリーネに以前言われたことがある。心配しすぎるのは信用してないからだ。って。そんな兄様大嫌い!…だそうだ」
 回想しながら自分でセリフを再現してダメージを受けたらしい。
 私を抱きしめながら肩に額を載せて項垂れる。
 あらあら。
 イリーネ様の「大嫌い」はよっぽどショックだったのね。
 過去の出来事に拗ねているディー様が何だか可愛らしく見える。
 私はそっと彼の頭に手を伸ばして、硬めの髪をゆっくり撫でることにした。
 すると少しだけ彼の頭が動いて首筋に柔らかなものがあてられる。
 何度も繰り返されて、くすぐったい。
 意志を持って動いているのが唇だと分かったのは、彼の吐息を感じたから。
 次第に唇だけで特にくすぐったく感じる場所を一筋、何度も食まれ始めた。
「ん、ディー、様…」
 無意識に声を零れさせれば、くるりと体を回転させられてそのまま彼の胸に抱き寄せられる。
 耳に届くどきどきという早鐘のような鼓動が、私の胸まで熱くさせる。
 多分、今顔を上げたらディー様は真っ赤な顔をしているだろう。
 同じくらい私の頬も赤いはずだ。
 だからいつもなら顎を持ち上げられて口づけを促されるけれど、今は強く抱きしめられるだけ。
 唇を重ねようとすれば、彼自身、真っ赤な顔を晒さなければならなくなるから。
 赤い顔を見られるのと、早すぎるくらい脈打つ鼓動を聞かれるのは、どちらが照れくさいだろう。
 ぼんやりそんなことを考えていると、不意に前髪を上げられて額に口づけられた。
 ディー様は口づけが好きなのかしら。
 顔中キスされていない場所はないくらい、もう何度もキスされている。
 彼は素早く私の前髪を元に戻した。
 再び力強く抱きこまれる。
「エル、本を読んであげようか?」
 ひたすら照れ隠しするかのように早口で問いかけてくる。
 ふふ、何だか嬉しい。
 怖い夢を見た後の一人寝はやっぱり寂しかったから、まだ一緒にいてくれると分かってほっとした。
「どんな本を読んでくださるの?」
「そうだな、何がいい?エルの好きな物語を読もう」
「本当?」
「エルが眠るまでずっと読んでる」
 温かな声が頭上で告げる。
 眠るまでずっと、ずっと…「「ずっと」」…?
 不意に彼の声とお父様の声が重なった気がしてパッと顔を上げる。
「エル?」
 そういえば幼い頃お父様も毎晩本を読んでくれた。
 私はいつも同じ物語ばかりせがんで、よくお父様は苦笑していた。
 可哀相な主人公はハシバミの木に来る小鳥からドレスや金銀の靴をもらい、舞踏会へ行って王子様と出会い最後には幸せを掴む…そんな物語。
『エルも困ったことがあったら庭のハシバミにお願いするといい。きっと助けてくれるから』
 お父様はそう言って笑っていた。
 あれはただの冗談だった?
 それともまさかいつか自分の身に危険が及ぶと分かっていて…。
「ディー様、お願いがあります」
「うん?」
「アウシュタイナーのお屋敷へ連れて行ってもらえませんか?」
「あの屋敷へ?だがあそこは危険だ。アウラー男爵の手の者が近くをうろついている」
「それならどなたかに、庭にあるハシバミを調べてもらえませんか?」
「ハシバミ?何か思い出したのか?」
「確証はありません、幼い頃の話だから。でも、もしかしたら…」
「分かった。明日の朝すぐに使いを送って調べてもらおう。だから今夜はもう休もう、エル」
「はい。ありがとうございます」
「礼はいらない。貴女の願いを叶えたいだけだから」
 そう言ってディー様は優しく私を抱き上げた。
 約束通り彼は私の大好きな物語をずっと読んでいてくれた。
 夢の中で私は金の靴を履いて、王子様と軽やかに踊る。
 もちろん顔を見上げれば、そこにあったのは優雅に微笑むディー様の青い瞳。
 幸せな夢は朝までずっと続いていた。





 続く
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