伯爵令嬢は公爵様と恋をする
Vol.17 後編



 刻まれていた眉間のしわがさらに深くなる。
 書面を手にしていたはずの左手も固くに握りこまれて、ぐしゃりと紙が音を立てた。
「私とアルが考えたことは同じだった。ヨアヒムが侯爵の息子だとしたら、彼は私生児ということになる。それもカミラにとって不幸な出来事が起きた結果の…。残酷な推測だがそう考えるとカミラの足取りが不明な事にも納得できるんだ。彼に関わった使用人たちが押し黙るのも頷ける。バルツァー侯爵に貴族としての良心など欠片もないだろう」
 それならきっと彼女は必死に彼から姿を隠したはずだ。
 いっそ死んだ方がましだと思うほどの恐怖と嫌悪に包まれて、それでも芽生えた命を奪う事なんて出来ずにヨアヒムを産んだのね…。
 どれほど大きな不安を抱えていただろう。
 好きでもない男性に触れられるだけでも虫唾が走るというのに、無理やりその身を穢されるなんてとても耐えられそうにない。
 あの絶望感と恐怖は一生忘れられないだろう。
 抱かれると思っただけでもあれほどの思いを味わったのだから、現実になっていたらと思うと恐怖で全身が震え上がる。
 そんな思いを乗り越えてまでヨアヒムを産んだカミラ。
 あなたは今どこにいるの?
 どうしてお父様があなたとヨアヒムの写真を持っていたのかしら。
 それを私に託すなんて…。
「お父様はどこでカミラと出会ったのかしら」
「ヨアヒムの洗礼記録があった教会付近で伯爵を見た人は誰もいなかった。それに写真となると都市でなければ撮影出来ないだろう」
「それじゃあお父様たちは街で出会った?」
「可能性はある。ただこの辺りでないことは確かだ。近くの街にある写真屋は全て調べたが、どこもあの写真に心当たりはないそうだ。となると近隣諸国まで視野を広げた方がいいかもしれないな」
「もしかするとお父様が時折遠出した時に出会っているかもしれないわ」
「伯爵が行ったことのある国をリストアップ出来るかい?」
「もちろん!お父様は遠くへ行くたびにその土地のお土産を買ってきてくれたから、すぐに分かります」
「それじゃあ明日の朝用意してくれるか?」
「はい!」
 ようやく私にも役立てそうな事が出来る。
 それがこんなに嬉しいなんて。
 思わず身を乗り出すほどやる気を出した私に、ディー様は優しく微笑みを浮かべてくれる。
 温かな視線を受けると何だか途端に気恥ずかしくなる。
 そっと顔を俯けると、彼の長くしなやかな指が優しく顎を捉えた。
「恥ずかしがらなくていい。私は貴女の喜ぶ顔を見ると嬉しくなるんだ」
「でも、子供みたいでしょう?」
 自分で思う以上に感情の起伏が表に出てしまうのは悪い癖だもの。
「ちっともレディじゃないわ」
「無理に背伸びすることはない。それに気持ちを見せる約束だ」
「それは、そうだけど…」
 ディー様は不思議な人だわ。
 あんなにたくさん大人っぽくて艶めいた素敵な女性たちに囲まれていても見向きしなかったし、逆に可憐で無邪気な女性にも興味を抱かなかったようなのに、いつまでも小娘な私を妻に望むなんて。
「きっとディー様には洗練された女性が相応しいと思うの」
「おや。それはどんな女性たちの事かな?かつて私の周りでうるさくさえずっていた方々の事かい?」
 彼の口調からどれほど彼女たちが煩わしかったのかが窺える。
 けれど次の瞬間には嬉しげな笑みが見えた。
「エル、ここの所貴女の変化は私の喜びなんだ」
「え?」
「この間の事を覚えているか?貴女が私を経験豊富だと思って苦しくなると言っていただろう?」
「あ、え、あ…はい」
 二度と触れて欲しくない話題を思い出して、途端に羞恥心がこみ上げてくる。
 ああ、忘れてほしい。
 酷い勘違いをして、一人で拗ねたりして、あんな子供じみた姿一刻も早く記憶から消し去ってほしいのに。
 どうしてそんな風に楽しげなの。
 ディー様は笑顔を浮かべたまま、私の顎に添えていた手を離して力強い両腕で包み込んでくれる。
 おかげで顔を見られなくて済むけれど、これはこれで照れくさい。
 でもそんな事彼には関係ない。
 何故かどんな反応も彼を喜ばせてしまうから、私には訳が分からないのだもの。
 大きな掌が何度も髪を撫でながら上下する。
 まるで大切なものを抱えるみたいに抱きしめられて、私の心がとくんと跳ねた。
 彼が空気を吸い込む音がする。
「あれは何という感情か知っているか?」
「?」
「ヤキモチというそうだ」
「!?」
 まさか、あれが「嫉妬」!?
 私、実際にはいもしなかった推測の中の女性に嫉妬したの…?
 告げられた事実に戸惑うけれど、彼は穏やかなまま一層ぎゅっと抱き込んでくる。
「イリーネにおめでとうと言われたよ。はじめはエルが苦しいと言っていたから心配になったんだ。もし大変な病気だったらと…でも違った」
「…それで、イリーネ様は何て…?」
「さあな。あの子はにっこり笑ってお祝いしてくれただけだ。他は何も言ってない」
「え…?」
「ただ、あれがヤキモチだと分かって私はたまらなく嬉しかった。エルにとっては不愉快な感情を味わってしまったのだろうが、悪くない」
「ディー様のいじわる」
 あんな気持ちもう味わいたくないもの。
 それなのに悪くない、だなんて。
 どうしてそんなに嬉しそうに言うの。
 嫉妬なんて醜い感情だもの、露わにしていいものなんかじゃないわ。
 だけど、あなたが喜んでくれたりするから…悪くないって、私も思ってしまいそう。
「ダメです。私、ディー様に釣り合うようなレディになりたいのに」
 そう呟いた一言がこの日一番彼を舞い上がらせていたなんて。少しも知らない私は、いずれ悲鳴を上げそうなほど愛される日が来ることなんて夢にも思っていなかった。






 続く
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