伯爵令嬢は公爵様と恋をする
Vol.18 (第三者視点) 前編



 小さな千鳥格子のグレン・チェックコートを身に纏った紳士はその日、小国でありながら様々な特産品を生み出し貿易を盛んに行って発展を続けているフェアエンデルングにいた。
 彼が仕えるバウムガルト公爵家がある大国エアフォルクの南隣に位置するかの国は、今日も今日とて陽気な明るさで賑わっている。
 特にフェアエンデルングの主要産業品である、目にも鮮やかな絨毯や絹織物が一堂に集う織物市場は、近隣諸国はもちろん遠方の国々からも買い付けに来る商人たちで溢れかえるほどだ。
 しかしその通りを過ぎて細道へ入ると、住宅が密集する路地だからだろうか、大通りの喧騒がうそのように静まり返っていた。
 それでも香ばしい焼き立てパンの香りや、時折風に乗って微かに聞こえてくる子供たちの声を聴いていると、いかにこの国が庶民に至るまで平和で穏やかに暮らせているかが窺い知れる。
 更に細い裏路地へ入って行っても辺りの様子は少しも変わらず静かな明るさと温かさに満ちている。
 彼…バウムガルト公爵家でスチュワード・フットマンと呼ばれる、つまりは執事見習いをしているレオンは現在最も執事に近い将来有望株で、執事長であるブルクハルトの信頼も厚い若者だ。
 本来は名前の通りブルクハルトたち執事の補佐をするのが彼らの役目なのだが、バウムガルト公爵の命により、婚約者であるエルフリーデの父親の事件について秘密裏に調査するため、白羽の矢を立てられたのだった。
 社交界でも数々の疑惑を抱える大物貴族の名前が挙がっているため、最も信頼できる者を調査にあてる必要があり、その人選をブルクハルトが任されていたのだが、彼が一番に推薦したのがこのレオンだったのだ。
 侯爵家に対する忠誠心は誰よりも高く、機転もきき物覚えもよく、仕事は細部にわたるまで丁寧に行い使用人としての所作や振る舞いも完璧で、近くヴァレット(近侍)を任される予定だったのだが、そこで見習い最後の仕事として今回の大役を仰せつかった。
 レオンは細心の注意を払って情報収集を続けていく。
 数日前、ブルクハルトから渡されたのはエルフリーデの父であるアウシュタイナー伯爵が訪れた国のリストであった。
 まさか件の調査が近隣諸国にまで及ぶとは思いもしなかった。
 しかし冷静に考えれば国内で得られた情報が洗礼記録一枚である事から、いつまでも国内に固執していては真相に辿り着けない事も分かる。
 さらに昨日主人の親友であるアルトゥール・ギーアスター公爵から渡されたのは、現在レオンの左手にしっかりと握られた一枚のメモ用紙だった。
 ギーアスター公爵自らが手に入れた確実な情報だ。
「そこへ行けばバルツァー侯爵家で働いていた衛兵に会える。彼はもう侯爵家と関係のない人間だ。きっと何か話してくれる」
 そう言って託されたメモと共に、ギーアスター公爵直筆の書状も懐に忍ばせてある。
 元衛兵との面会をレオンに任せた公爵は、今頃きっと僅かな証拠を手掛かりにバルツァー侯爵を糾弾し追い詰められるだけの証拠固めに奔走しているはずだ。
 自身の主人であるバウムガルト公爵もまた、疑惑の人物の一人であるアウラー男爵について徹底的に調べ上げているところだ。
 男爵について分かっているのは金銭面でのトラブルが主だったが、だからこそアウシュタイナー伯の件についてだけ明確な証拠も証言もないことが、かえって不自然な事だった。
 そこでバウムガルト公爵は男爵の背後に誰か更なる権力を持った人間がいると睨んだらしい。
 巧みに隠蔽された真実を暴くために、いよいよ四大公爵家を動かす手はずを整えると言っていた。
 そのために今回の面会は何としてでも成功させる必要がある。
 レオンは何度か細い路地を曲がり、目的の家を発見すると拳を固く握りしめた。
 決して大きくはないがそれなりに住みやすそうな広さの家が一軒、周囲に溶け込むようにして建っている。
 温もりを感じさせる木製の扉をノックすれば、住人は何の躊躇いもなく姿を現した。
「…あなたは?」
 シルバーの髪をした壮年の男性が顔を出す。
 彼は元衛兵ということもあってか、腕についている筋肉は立派に引き締まっている。
 頬は幾分やせて見えるが、それでも貫禄たっぷりだ。
 軍に入隊経験のないレオンにとって彼の眼光は切れ味抜群のナイフのようだ。
 ただ視線を合わせているだけでは殺されてしまいそうな程で、彼が研ぎ澄まされた直観と細かな観察によってレオンを品定めしているのがはっきり見て取れた。
 そこでレオンは両手を開いて掌を相手に見せてから、懐に用意していた一通の書状を取り出すことにした。
「私はエアフォルクにあるバウムガルト公爵家の執事見習い、レオンと申します。本日は主人の命により面会に参りました。こちらは主人と親しくなさっているギーアスター公爵様からの書状でございます。どうぞご一読を」
「…両公爵家が…そうか…」
 書状を受け取りながら呟くと、彼は一気に書面に目を通す。
 こんなにすんなり受け取ってくれると思っていなかったレオンは少しだけ拍子抜けした。
 しかも元衛兵は何故か納得した表情を浮かべていたし、それは書面を読んだことで一層深まったようだ。
 最初の警戒心もとっくに解かれ、彼は書状をレオンに返すと家の中へ促してくれた。
 コトンというマグカップと木製テーブルのぶつかる音が小気味良い。
 出されたのは庶民の家庭によくある、逆に言えば仕えている公爵家では見たこともない…大量生産が可能な陶器のマグカップだ。
 注がれているのはどうやら紅茶のようだった。
 元衛兵である男、ブルーノは自分もレオンの向かい側に腰を下ろすと、深いため息を吐く。
「いつかこうなると思っていたんだ。ギーアスター公爵は私に知っている事全てを話すように仰っている。…つまり、バルツァー侯爵のことだろう?」
「はい。お察しの通りです」
「では私が衛兵を辞した理由もご存知か?」
「いえ、それについては何も」
「ならばどういった経緯で仕えたかもご存じないな」
「…お伺いしてもよろしいですか?」
 問い返せば一瞬でブルーノの表情は険しいものとなり、それはバルツァー侯爵に仕えた過去に対するものだと気付く。
 苦々しく眉間にしわを寄せ侯爵を
「あの外道は百遍殺しても殺したりない」
 と激しく罵ったからだ。
 ここまで侯爵に対する感情を露わにする人間は初めてだ。
 誰もが皆気まずそうな顔をして黙り込むだけだったのに、ブルーノは激しい怒りを隠そうともしない。
 彼は鍛え上げられたおかげで人より大きくなった逞しい拳を強くテーブルに叩き付けた。
 その様子を黙ってレオンは見つめる。
「始まりは娘を奴の屋敷に奉公に行かせたことだった。元々私たち家族はエアフォルクに住んでいた。そこで華やかな貴族の世界に憧れていた娘はある日使用人募集の広告に飛びついたんだ。だが数日後、水死体となって発見された。ボロボロの衣服に体中青黒い痣が無数につけられていたんだ。顔は原形を留められないほど腫れ上がって…いつも身に付けていたネックレスだけが娘である証拠だった」
「…まさか…」
「侯爵は娘を雇ったことはないと言った。だが娘の体にははっきりと侯爵の仕業だという証拠があったんだ!」
「一体何です?」
 激昂するブルーノに、レオンも身を乗り出す。
 ブルーノは怒りに打ち震える体をどうにか押さえつけながら、傍らに備え付けられていた引き出しから一枚の絵を取り出した。
 何か模様が描かれている。
「バルツァー家の紋章だ」
「!?」
「せめて娘の体を綺麗にしてやりたかった。だから妻が着替えさせたんだ。いつか嫁に行く時のために用意していたドレスを着せてやった。その時気付いたんだ。娘の腹部に小さく…この紋章が…」
「それが致命傷だったんですね…?」
 レオンは全てを察する。
 恐らく紋章は指輪に掘られたものだ。
 貴族は大抵そうした指輪を身に付けている。
 そしてその模様が腹部に痣となって残るほど、侯爵は彼の娘を殴りつけたことになる。
 大の男が力任せに女性を殴れば、内臓は簡単に破裂して死に至る。
 ブルーノは項垂れるようにして頷くと、しばらくの間込み上げる感情に任せて静かに涙を流し続けていた。
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