伯爵令嬢は公爵様と恋をする
Vol.29 後編



 衛兵たちと共に、促された先の部屋へたどり着くと、確かに「ネズミ」が大騒ぎしているようだった。
 内側からガンガン扉を叩き付けているようだけれど、木材に衝撃を吸収されているせいで外側に聞こえるのはせいぜい強めのノック音と彼の怒声や罵声だけ。
 外側に開くようになっているドアを抑えていたのは、先ほどの紳士と同じ服装をした若い執事で、恐らくレオンと同じ執事見習いなのだろう。
 弾けるような笑顔で「開けますよ」と合図すると、ディー様が頷くのを見届けてパッと飛び退いた。
 不意に自由になった扉は勢いよく音を立てて開き、中から髪を乱して目を血走らせたネズミが飛び出してくる。
 それをバウムガルト家の衛兵は素早く受け止めてあっという間に捕縛してしまった。
 ディー様はその間私を背中で隠してくれる。
 おかげで間近で男爵と対峙せずに済んだ。
 もちろん目ざとい彼はすぐに私を視界に捉えたらしい。
 殺気よりもどす黒い感情のこもった瞳がこちらを睨み付けている。
「フン、結局お前も金で全てを売ったわけだ」
「黙りたまえ。その汚い口を閉じていろ」
「公爵様、あなたほどのお方がその女に騙されるんですか?その女は貧相な体をくねらせ、私を誘惑したんだ!」
 真っ赤に染まった瞳をカッと見開き、既にしゃがれた声でありもしない事を叫びながら罵る彼はまるで悪魔の化身。
 視界に広がっているのはディー様の背中でも、男爵の罵声は耳に届いてくる。
 私の心臓は奥底からどくりと嫌な音を立てた。
 微かに体が震える。
 最初からそうだった。
 男爵は蛇のように絡みつく嫌な視線で私を見つめ、伝わってくる感情は欲にまみれたどろどろしたものだけ。
 今はそこに殺気や怒り、憎しみまで感じ取れる。
 けれど、私の怯えに気付いたディー様から男爵を上回る怒気が漂い始めると、男爵の視線も渦巻く感情も恐怖とは程遠く滑稽にさえ思えてきた。
 そしてディー様の怒気を含んだ覇気を感じた衛兵たちが剣(つるぎ)の柄に手をかけた時
「黙れと言ったのが聞こえなかったか…?」
 地を這って静かに大地を揺るがすような低い声が、私たちのいる空間を凍りつかせた。
 彼の怒りがびりびりと肌に伝わる。
「お前のその陳腐な脳みそでは、見え透いた嘘で相手を辱める事しか出来ないようだな」
「なっ!?」
「哀れなものだ。汚い手を使って掻き集めた金をばらまき、光に群がる蛾のような人間ばかりを侍らせ、自らの力だと誇示して見せ歩く。さらには女性を思うままに欲のはけ口として使い捨て、無実の人間の命まで弄んだ。弱いもの相手にひけらかした腕力を真実の力と思い込んだお前は偽りで身を固め、ノミのように小さな心臓の臆病な自分を、頑丈な壁や獰猛な犬で誤魔化しただけだ」
「黙って聞いておれば勝手な事を!!」
「真実だろう。そうしてお前が手に入れたものは「幻」だ」
「何だと!?」
「現にお前には何も残っていない。地位も名誉も金も、そしてこの家も長年勤めてくれた彼らの心も」
 そう言って視線で促された先にいたのは、ずらりと勢揃いしたアウラー家に仕えていた人々。
 一様に冷ややかな瞳で男爵を見据えている。
 彼らは喜んで男爵に仕えていたわけじゃないんだ。
 前男爵の遺言があったからこの屋敷に留まっていただけ。
 ある意味それに縛られていただけで、本当はいつ反旗を翻してもおかしくなかったのかもしれない。
 こうして彼の捕縛に手を貸すくらい本当は彼を懲らしめたかったのだろう。
 身分的に許されることではなかったから、いつかこうなる事を望んでいたのかもしれない。
 味方のいない裸の王様。
 彼を擁護する人は誰もいないんだ。
 厳しい表情で彼を見やるディー様の視線も絶対零度の冷たさで、自分が失ったものを羅列して突きつけられた男爵は、ぐうの音も出せずに黙り込んでいた。
「お前がエルに執着したのは、彼女ではなく本物の紋章が…自分たちの悪事を暴く証拠がアウシュタイナーの屋敷に残されていると知ったからだ。それが見つかれば間違いなく借用書の捏造が証明され、言い逃れできなくなる。だから奪うしかなかった。そこでエルとの結婚を思いつき、彼女の弱みに付け込んで無理やり婚約を成立させたんだ。ところが苦労して取り付けた婚約も私によって白紙に戻され、いよいよ焦りだしたお前は自分の手の者を屋敷の周囲に差し向けた。しかし屋敷は衛兵が四六時中詰めている。八方ふさがりだ。それでも屋敷を見張らせたのはエルが戻るのを知らせるためだ。彼女が戻り次第誘拐でもして印を奪うつもりだったんだろうが、浅はかだったな」
「くっ」
「アウシュタイナー伯爵はお前たちの悪事を徹底的に調べ上げていた。おかげで決定的証拠が大量に見つかった。それに私が彼女を一人で屋敷に戻すわけがないだろう。私の持ち得た全てはこの手で大切なものを守るためにある。真の力とは誰かを幸せにするためにこそ振るわれるものなんだ。観念しろ」
 そう告げて手で合図すると、衛兵たちは身を捩って抗おうとする「元」男爵を引きずるようにして外へ連行していった。
 男爵家の執事たちはエントランスで迎えてくれた彼の指示で蜘蛛の子を散らすように持ち場へ戻って行く。
 どうやら屋敷内をきれいに片付けるらしい。
 そして残った執事長は憑き物が落ちたようにすっきりした顔で私たちに向き直る。
「ありがとうございました」
 体をほとんど半分に折りたたんでしまうほど深々と首を垂れる。
 ディー様はそんな彼に歩み寄り頭を上げさせると、ふう、と息を吐いて肩の力を抜いて見せた。
 先ほどまで浮かべられていた冷徹な仮面も消えている。
「いずれ正式に通達されるが、男爵位は取り上げられアウラー家は途絶えることになる」
「はい。覚悟はできております」
「そこで交渉したいのだが、これからもこの屋敷を取り仕切ってもらえるだろうか?」
「おやおや」
「もちろんこれまで同様全員にこの屋敷の仕事を頼みたい。ここを離れたいという者がいれば、次の働き口を用意したうえでその希望も叶えよう。しかし今は、あなた方の力が必要だ。この屋敷も、アウラー領も」
「困りましたねぇ。すっかり隠居するつもりでおりましたが…」
 彼は嬉しそうに苦笑する。
 それから視線をぐるりと屋敷中に巡らせ、小さく首を縦に振る。
 すう、と鼻で空気を吸い込むと、真っ直ぐディー様を見上げた。
「かつての明るい屋敷もすっかり廃れてしまいました。このままこの場所を空っぽにしては、雲の上にいる我らが主人が嘆かれてしまいますな。どこで何がどう狂っていったのか…正すのも私たちの使命でございましょう。微力ながら尽力させていただきます」
「そうか、ありがとう」
 二人は固い握手を交わす。
「最後に私からもお願いがございます」
「何なりと」
「実は、どうやら彼に捕えられた哀れな若者がいるようです」
「!?」
「恐らくはモーリッツ伯爵の元で監禁されているはず。どうか助けて差し上げてください」
 その名前を聞くのはこれで二度目。
 確か筆頭公爵の遠縁にあたる人だわ。
 思わずディー様を見上げて彼の服をきゅっと掴むと、大きな掌が優しくしがみついた私の手を包み込んだ。
「大丈夫、アルが向かったのは陛下の元だ。今頃バルツァー侯とモーリッツ伯も捕えられているだろう。ハインツの安否も確認されているはずだ。彼に何かあればすぐこちらに知らせが来る手筈になっている」
「じゃあ…」
「ああ、恐らく無事だ。どちらにしろ途中で落ち合える。私たちもアウシュタイナーの屋敷へ戻ろう」
「はい!」
「それではお二人ともお気をつけて。私は早速屋敷を蘇らせることにいたしましょう」
 執事長はすぐにベルを手にとって屋敷内に響かせると、仕事の変更を次々に指示していった。
 その様子を見届けて私たちは男爵の屋敷を後にする。
 アウシュタイナーのお屋敷を出た時と同じようにディー様は私を軽々と馬に乗せ、自分もひらりと跨ると、今度は来た時よりもゆっくりと馬を走らせた。
 私の両腕はしっかりと彼の胴に回されている。
 指示されたわけじゃなく、自然とそうしていた。
 しがみつくふりをして背中に頬を寄せれば、彼の温もりを感じる。
「すまない、嫌な思いをさせてしまったな」
「いいえ。ディー様が守ってくださったから、平気です」
「アウラーの言った事など気にするな。というより全部忘れてくれ」
「ふふ」
「どうした?」
「だって何だか不思議な言い回しなんだもの」
「本心だからな。あんな口汚い嘘を思い返してエルがまた傷付くのは嫌なんだ」
「大丈夫。もう思い出すこともありません」
「本当に?」
 私の声が微かに震えたのをディー様は聞き逃さなかった。
 心配げな声が返ってくるけれど、喉の奥が締め付けられて声にならない。
 返事をする代わりに一層強く彼に抱きつく。
 ごめんなさい、ディー様。
 せっかくの上着が少し濡れてしまうかも。
 涙がこみ上げて止まらないの。
 でも恐怖や怒りとは全然違う。
 上手く言葉に出来ないけれど心は静かに凪いでいるもの。
 これは多分安堵の涙。
 嬉し涙とも違う。
 心の奥底に沈んでいた重い鉛が取り除かれたような、そんな感じ。
 私はリズミカルに響く馬の足音を聞きながら、心地よい温もりにただ瞳を閉じた。






 続く
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