伯爵令嬢は公爵様と恋をする
Vol.30 前編
太陽が西の空を濃い橙色に染め上げてその姿を沈めた頃、星の瞬く夜空の訪れとともに私とディー様を乗せた馬はアウシュタイナー家の門をくぐった。
「お嬢様!!」
「ゲルタ!?ひゃ」
「よくぞご無事で!!」
ディー様の手を借りて馬上から降りた私を見つけて、ゲルタは駆け寄りながら力強く抱きしめてくれる。
声を上げる間もなく彼女の温かな胸に抱き寄せられれば、まるでお母様に抱きしめられているみたいに嬉しくなった。
すぐにお屋敷の中からクラウスも姿を現して私たちを中へ促してくれる。
温かな灯りが溢れるエントランスを抜けると、鼻をくすぐる美味しそうなトマトソースの匂いがして、キッチンからは今まさに焼かれているパンの香ばしい匂いも漂っていた。
食堂の入口には先に一仕事終えて私たちを待ち構えていたアルトゥール様。
道中彼の衛兵と落ち合うことが出来ていたおかげで簡単な事情を把握していたディー様は、彼にお礼を言いながら互いに拳を突き合わせた。
お城へ向かったアルトゥール様はすぐさま陛下にお父様が集めた証拠を見せると、一刻も早くバルツァー侯爵とモーリッツ伯爵の元へ兵を回すよう話をつけてくれた。
動かぬ証拠と、実はチェス仲間であるアルトゥール様の言葉に納得した陛下は、事情説明を求めてきた筆頭公爵を制止して、その場で二人の爵位を剥奪する旨をしたためた書状をアルトゥール様に託し、兵を動かしてくれたそうだ。
ただし連行できたのはモーリッツ伯だけで、バルツァー侯は手遅れだった。
「驚いたよ。まさかバルツァーが殺害されていたなんて。思いもよらなかった。遺体の状態から見て殺害されたのは数日前だ」
アルトゥール様たちが発見した時、既に侯爵は口から血を流して事切れていたらしい。
近くには杯が転がり、絨毯にはワインと思しき赤茶色のシミが出来ていた。
侯爵は毒殺されていたのだ。
現在遺体は収容されている。
次いでモーリッツ家へ向かうと、そこには筆頭公爵の力で免れると思っていたのか、捉えられるはずがないと油断した伯爵がほろ酔い加減でブランデーを煽っていたそうだ。
そしてアルトゥール様は暴れて抵抗する彼から力づくでハインツの居場所を聞き出してくれた。
彼が監禁されていたのはモーリッツ家の地下室。
石牢のような一室だった。
「さあエルフリーデ嬢、彼に会いに行ってあげて。彼は今治療を受けて2階で休んでる」
「はい」
ドレスを少し持ち上げて私は階段を駆け上がる。
最後の一段を上ると
「エルフリーデ様、こちらです」
と、バウムガルト家で見慣れた、凛々しいレオンの姿があった。
促されて足早にその部屋へ入ると、整えられた白いベッドの中、やせ細って青ざめたハインツがいた。
「ハインツ!」
「お嬢様…」
「ああ、ダメよ、動かないで」
体を起こそうとする彼を止めて側へ駆け寄る。
日に焼けて逞しかったかつての姿はない。
目はくぼんで頬骨が浮き出て見える。
そっと手を握れば異様なほど力が抜けて、ごつごつしていた。
「生きていてくれて良かった…本当に、本当に…」
「泣かないで、お嬢様。俺のせいで旦那様が」
「違うわ。あなたのせいじゃない」
「俺がアウラーと出会わなければ、あんな話、一度でも引き受けたりしなければ…ッ」
「断ればきっとハインツが殺されていたわ。そうしたらお父様は嘆き悲しんで、一生自分を責め続けることになったはずよ」
「それでも!旦那様が亡くなるよりずっとマシです!!お嬢様を悲しませることもなかった!」
「でもお父様が望んだの。アウラー男爵を然るべき手段で断罪したかったから、何としても彼の罪を立証する証拠が欲しかったの。あなたはそれに協力しただけ。その上自分の手で決着をつけようとするなんて!無茶しすぎよ…何も言わずにいなくなるんだもの…私、あなたにやっぱり嫌われていたのかと思って…」
「そんなこと、あるはずがないでしょう。旦那様のご恩に報いてお嬢様を助けるには、この手でアウラーを突き出すしかないと思ったんです」
「だからって一人で乗り込むなんて無謀よ。何でもかんでも一人で背負いこんで、危険も顧みずに飛び込むんだもの」
「そうでもしなきゃ俺の気がすまな」
「あなたが傷付く姿なんて見たくない。分かるでしょう?大切な人を失うなんて二度とごめんだわ」
「お嬢様…」
「勝手なことするハインツなんて嫌いよ。…嫌いなんだから」
こんなことが言いたいはずじゃないのに、どうして言葉は裏腹になってしまうんだろう。
とめどなく溢れる涙がこぼれてシミの出来た毛布に顔を伏せると、困ったようにハインツの空いた方の手が弱弱しく頭を撫でてくる。
でもすぐに
「エル、そうハインツを責めてやるな。彼は怪我もしているし体も弱ってるんだ」
という声を聞いて、ハインツの手は離れた。
太陽が西の空を濃い橙色に染め上げてその姿を沈めた頃、星の瞬く夜空の訪れとともに私とディー様を乗せた馬はアウシュタイナー家の門をくぐった。
「お嬢様!!」
「ゲルタ!?ひゃ」
「よくぞご無事で!!」
ディー様の手を借りて馬上から降りた私を見つけて、ゲルタは駆け寄りながら力強く抱きしめてくれる。
声を上げる間もなく彼女の温かな胸に抱き寄せられれば、まるでお母様に抱きしめられているみたいに嬉しくなった。
すぐにお屋敷の中からクラウスも姿を現して私たちを中へ促してくれる。
温かな灯りが溢れるエントランスを抜けると、鼻をくすぐる美味しそうなトマトソースの匂いがして、キッチンからは今まさに焼かれているパンの香ばしい匂いも漂っていた。
食堂の入口には先に一仕事終えて私たちを待ち構えていたアルトゥール様。
道中彼の衛兵と落ち合うことが出来ていたおかげで簡単な事情を把握していたディー様は、彼にお礼を言いながら互いに拳を突き合わせた。
お城へ向かったアルトゥール様はすぐさま陛下にお父様が集めた証拠を見せると、一刻も早くバルツァー侯爵とモーリッツ伯爵の元へ兵を回すよう話をつけてくれた。
動かぬ証拠と、実はチェス仲間であるアルトゥール様の言葉に納得した陛下は、事情説明を求めてきた筆頭公爵を制止して、その場で二人の爵位を剥奪する旨をしたためた書状をアルトゥール様に託し、兵を動かしてくれたそうだ。
ただし連行できたのはモーリッツ伯だけで、バルツァー侯は手遅れだった。
「驚いたよ。まさかバルツァーが殺害されていたなんて。思いもよらなかった。遺体の状態から見て殺害されたのは数日前だ」
アルトゥール様たちが発見した時、既に侯爵は口から血を流して事切れていたらしい。
近くには杯が転がり、絨毯にはワインと思しき赤茶色のシミが出来ていた。
侯爵は毒殺されていたのだ。
現在遺体は収容されている。
次いでモーリッツ家へ向かうと、そこには筆頭公爵の力で免れると思っていたのか、捉えられるはずがないと油断した伯爵がほろ酔い加減でブランデーを煽っていたそうだ。
そしてアルトゥール様は暴れて抵抗する彼から力づくでハインツの居場所を聞き出してくれた。
彼が監禁されていたのはモーリッツ家の地下室。
石牢のような一室だった。
「さあエルフリーデ嬢、彼に会いに行ってあげて。彼は今治療を受けて2階で休んでる」
「はい」
ドレスを少し持ち上げて私は階段を駆け上がる。
最後の一段を上ると
「エルフリーデ様、こちらです」
と、バウムガルト家で見慣れた、凛々しいレオンの姿があった。
促されて足早にその部屋へ入ると、整えられた白いベッドの中、やせ細って青ざめたハインツがいた。
「ハインツ!」
「お嬢様…」
「ああ、ダメよ、動かないで」
体を起こそうとする彼を止めて側へ駆け寄る。
日に焼けて逞しかったかつての姿はない。
目はくぼんで頬骨が浮き出て見える。
そっと手を握れば異様なほど力が抜けて、ごつごつしていた。
「生きていてくれて良かった…本当に、本当に…」
「泣かないで、お嬢様。俺のせいで旦那様が」
「違うわ。あなたのせいじゃない」
「俺がアウラーと出会わなければ、あんな話、一度でも引き受けたりしなければ…ッ」
「断ればきっとハインツが殺されていたわ。そうしたらお父様は嘆き悲しんで、一生自分を責め続けることになったはずよ」
「それでも!旦那様が亡くなるよりずっとマシです!!お嬢様を悲しませることもなかった!」
「でもお父様が望んだの。アウラー男爵を然るべき手段で断罪したかったから、何としても彼の罪を立証する証拠が欲しかったの。あなたはそれに協力しただけ。その上自分の手で決着をつけようとするなんて!無茶しすぎよ…何も言わずにいなくなるんだもの…私、あなたにやっぱり嫌われていたのかと思って…」
「そんなこと、あるはずがないでしょう。旦那様のご恩に報いてお嬢様を助けるには、この手でアウラーを突き出すしかないと思ったんです」
「だからって一人で乗り込むなんて無謀よ。何でもかんでも一人で背負いこんで、危険も顧みずに飛び込むんだもの」
「そうでもしなきゃ俺の気がすまな」
「あなたが傷付く姿なんて見たくない。分かるでしょう?大切な人を失うなんて二度とごめんだわ」
「お嬢様…」
「勝手なことするハインツなんて嫌いよ。…嫌いなんだから」
こんなことが言いたいはずじゃないのに、どうして言葉は裏腹になってしまうんだろう。
とめどなく溢れる涙がこぼれてシミの出来た毛布に顔を伏せると、困ったようにハインツの空いた方の手が弱弱しく頭を撫でてくる。
でもすぐに
「エル、そうハインツを責めてやるな。彼は怪我もしているし体も弱ってるんだ」
という声を聞いて、ハインツの手は離れた。