伯爵令嬢は公爵様と恋をする
Vol.30 後編
ディー様だ。
部屋に置いてあった椅子を二つ持ち出してベッドサイドへ運ぶと、片方に私を座らせ。もう一方に自分も腰かけた。
そして私の背を、靡く髪と一緒に撫でてくれる。
「ハインツと無事に会えて嬉しいんだろう?どうして嫌いだなんて心にもない事を」
「っく、だって」
涙目のままディー様を見れば、そこにはまるで底抜けに優しい微笑みが浮かんでいて、子供みたいに泣きじゃくっている自分に恥ずかしくなる。
だから必死に涙を堪えてそっぽを向くことにした。
ポンポンと厚い掌が後頭部を撫でる。
今度こそ完璧に子ども扱いだ。
けれどディー様はそんな私からハインツの方へ向き直り、真剣な表情に戻っていた。
「すまないが少し話をしたい」
「はい」
落ち着いたディー様の声にハインツも頷く。
ようやく涙をおさめた私も彼らの方へ向き直る事にした。
「今回の真の黒幕はモーリッツだな?」
「はい。証拠が残っているかどうか分かりませんが、バルツァー侯爵を殺したのはモーリッツの手下です。奴は俺が侯爵の子供だと分かると、すぐに侯爵殺害を計画したんです。俺を侯爵にしてバルツァー家を操り牛耳るために」
「やはりそうか。アウラーを通してハインツの存在を知ったモーリッツが全てを計画したのか?」
「実の父親について調べていたところへ男爵がやってきて、旦那様が父親だと勘違いした俺に復讐しないかと持ちかけてきたんです。あの頃俺はすっかり旦那様を恨んでいたし、母を失って冷静さも失っていたから、まんまと彼の口車に乗ってしまった」
「しかしこの屋敷で過ごす内にアウシュタイナー伯の優しさに触れて、迷いが生じた」
「旦那様は奥様を心から愛し、大切になさっていて、とても浮気をしたりましてや妊娠した女性を捨てたりするような方には思えなかった。それにただの使用人の俺達まで家族同然に大切にしてくださって、俺には立派な小屋まで建ててくださったんです。自分は何か大きな誤解をしているんじゃないか、このままでは取り返しのつかない過ちを犯すことになるんじゃないか、そう思って旦那様に尋ねました。本当の事を教えてほしいと」
「そこでバルツァー侯爵が本当の父親だと知ったのか?」
「いえ、旦那様は母の名誉を守ると同時に、俺の事も考えて決して父の名は明かさなかった。ただ、高い身分にある人物だとだけ。侯爵が実の父親だと分かったのは、モーリッツの屋敷に捕らわれた時です。何故すぐに殺されなかったのか、そして何故侯爵殺害計画に俺が利用されるのか、あの時ようやく全て理解できたんです」
固く握られたハインツの拳が震えている。
額に浮かべられた皺には深い後悔が刻まれていて、行き場のない怒りが渦巻いているようだった。
全てを打ち明けられたお父様はハインツに、しばらくの間男爵に協力する振りをするよう指示したのだという。
そんな事とは知らない男爵はハインツにお父様の財産を奪い取る計画を持ちかけたそうだ。
ハインツは逐一全てをお父様に報告し、男爵に偽の紋章が刻まれた印を渡すと、お父様から大切な証拠を託され、誰にも見つからないようベッドの床下へ隠したそうだ。
もちろん私があの場所を知っていると分かっての事だ。
自分に何かあっても証拠は守られるし、いつか必ず私が見つけ出すと信じていたらしい。
以前ハインツが何度かあの場所を見せてくれたのは意図しての事だった。
自分自身の最悪のシナリオは予測していたのだ。
けれど人間の善意を信じていたお父様は、心根の腐りきっていた男爵に殺されてしまった。
「旦那様は男爵に言ったそうです。貴族としての誇りを取り戻せと。でも男爵は聞き入れなかった。罪を認めれば自分の命が危ういと分かっていたからです」
「そして焦ったアウラーがアウシュタイナー伯を殺害したと…そういう事か…」
深い息を吐きながらディー様が納得したように呟いて、ハインツはそれに無言で頷いた。
真っ黒に染まりきった彼らと、白というよりは何ものにも染まらない無色透明のお父様。
相容れることのない存在がぶつかり合った時、真っ直ぐすぎるお父様の正義感が仇になった。
彼らの闇があまりにも深すぎたせいで。
けれどそうして招いたのは仲間同士の殺し合い。
私たちがもう少し真相に辿り着くまでまごついていたら、きっとアウラー男爵だって殺されていただろう。
新しい侯爵にハインツを据えて実質的な支配権を手に入れたモーリッツ伯にとって、男爵はいつ足がつくとも分からない厄介な爆弾を抱えているのと同じことだったから。
目的を果たせば早々に関係を清算した方が得策だ。
欲望は簡単に人を悪魔に変える。
呑み込まれれば自分の身を滅ぼすことになるとも知らずに。
たくさんの人々を犠牲にして生み出されるものは何もないんだ。
部屋には重い沈黙が広がる。
けれどすぐにそれは打ち破られた。
「事件が解決したっていうのに、何て暗い顔してるんだろうね、君たちは」
入口には飄々としたアルトゥール様が立っていて、その後ろにはクラウスの姿が見える。
腕にナプキンをかけているのを見ると、どうやら夕食の支度が整ったらしい。
その証拠にゲルタがワゴンを運び込んできた。
載せられているのは湯気を立てた、野菜いっぱいのシチュー。
いくつかお肉も入っている。
「ハインツにはたくさん食べてもらわなきゃね。そんなほそっこい体じゃ庭師の仕事は務まらないでしょう?」
軽快に笑って彼を起こしながらシチューとスプーンを手渡す。
ゲルタの言葉にハインツは戸惑ったように瞳を動かし
「いや、俺は、そんな、これ以上お世話になるなんて」
とかなんとか、今すぐにでも出て行こうとしそうな様子を見せたけれど、それはディー様が止めてくれた。
「この屋敷の薔薇園は抜きん出て立派だそうだ。新しく雇った庭師が苦戦していたよ。早く元気になって彼らを助けてやってくれないか?」
そう言ってディー様は私に目配せしてくる。
「ですって」
彼の意図を汲み取って私も告げる。
「私たち家族にはやっぱりハインツが必要なのよ。これからもずっと、あの薔薇たちを綺麗に咲かせてあげて。お父様の愛情の証だから」
あの薔薇園をあそこまで立派にしたのはハインツだもの。
誰よりもお父様の気持ちを分かっていたあなただから出来るのよ。
気持ちを込めて彼を見つめると、ハインツは満面の笑みと共にこくりと頷いてくれたのだった。
続く
ディー様だ。
部屋に置いてあった椅子を二つ持ち出してベッドサイドへ運ぶと、片方に私を座らせ。もう一方に自分も腰かけた。
そして私の背を、靡く髪と一緒に撫でてくれる。
「ハインツと無事に会えて嬉しいんだろう?どうして嫌いだなんて心にもない事を」
「っく、だって」
涙目のままディー様を見れば、そこにはまるで底抜けに優しい微笑みが浮かんでいて、子供みたいに泣きじゃくっている自分に恥ずかしくなる。
だから必死に涙を堪えてそっぽを向くことにした。
ポンポンと厚い掌が後頭部を撫でる。
今度こそ完璧に子ども扱いだ。
けれどディー様はそんな私からハインツの方へ向き直り、真剣な表情に戻っていた。
「すまないが少し話をしたい」
「はい」
落ち着いたディー様の声にハインツも頷く。
ようやく涙をおさめた私も彼らの方へ向き直る事にした。
「今回の真の黒幕はモーリッツだな?」
「はい。証拠が残っているかどうか分かりませんが、バルツァー侯爵を殺したのはモーリッツの手下です。奴は俺が侯爵の子供だと分かると、すぐに侯爵殺害を計画したんです。俺を侯爵にしてバルツァー家を操り牛耳るために」
「やはりそうか。アウラーを通してハインツの存在を知ったモーリッツが全てを計画したのか?」
「実の父親について調べていたところへ男爵がやってきて、旦那様が父親だと勘違いした俺に復讐しないかと持ちかけてきたんです。あの頃俺はすっかり旦那様を恨んでいたし、母を失って冷静さも失っていたから、まんまと彼の口車に乗ってしまった」
「しかしこの屋敷で過ごす内にアウシュタイナー伯の優しさに触れて、迷いが生じた」
「旦那様は奥様を心から愛し、大切になさっていて、とても浮気をしたりましてや妊娠した女性を捨てたりするような方には思えなかった。それにただの使用人の俺達まで家族同然に大切にしてくださって、俺には立派な小屋まで建ててくださったんです。自分は何か大きな誤解をしているんじゃないか、このままでは取り返しのつかない過ちを犯すことになるんじゃないか、そう思って旦那様に尋ねました。本当の事を教えてほしいと」
「そこでバルツァー侯爵が本当の父親だと知ったのか?」
「いえ、旦那様は母の名誉を守ると同時に、俺の事も考えて決して父の名は明かさなかった。ただ、高い身分にある人物だとだけ。侯爵が実の父親だと分かったのは、モーリッツの屋敷に捕らわれた時です。何故すぐに殺されなかったのか、そして何故侯爵殺害計画に俺が利用されるのか、あの時ようやく全て理解できたんです」
固く握られたハインツの拳が震えている。
額に浮かべられた皺には深い後悔が刻まれていて、行き場のない怒りが渦巻いているようだった。
全てを打ち明けられたお父様はハインツに、しばらくの間男爵に協力する振りをするよう指示したのだという。
そんな事とは知らない男爵はハインツにお父様の財産を奪い取る計画を持ちかけたそうだ。
ハインツは逐一全てをお父様に報告し、男爵に偽の紋章が刻まれた印を渡すと、お父様から大切な証拠を託され、誰にも見つからないようベッドの床下へ隠したそうだ。
もちろん私があの場所を知っていると分かっての事だ。
自分に何かあっても証拠は守られるし、いつか必ず私が見つけ出すと信じていたらしい。
以前ハインツが何度かあの場所を見せてくれたのは意図しての事だった。
自分自身の最悪のシナリオは予測していたのだ。
けれど人間の善意を信じていたお父様は、心根の腐りきっていた男爵に殺されてしまった。
「旦那様は男爵に言ったそうです。貴族としての誇りを取り戻せと。でも男爵は聞き入れなかった。罪を認めれば自分の命が危ういと分かっていたからです」
「そして焦ったアウラーがアウシュタイナー伯を殺害したと…そういう事か…」
深い息を吐きながらディー様が納得したように呟いて、ハインツはそれに無言で頷いた。
真っ黒に染まりきった彼らと、白というよりは何ものにも染まらない無色透明のお父様。
相容れることのない存在がぶつかり合った時、真っ直ぐすぎるお父様の正義感が仇になった。
彼らの闇があまりにも深すぎたせいで。
けれどそうして招いたのは仲間同士の殺し合い。
私たちがもう少し真相に辿り着くまでまごついていたら、きっとアウラー男爵だって殺されていただろう。
新しい侯爵にハインツを据えて実質的な支配権を手に入れたモーリッツ伯にとって、男爵はいつ足がつくとも分からない厄介な爆弾を抱えているのと同じことだったから。
目的を果たせば早々に関係を清算した方が得策だ。
欲望は簡単に人を悪魔に変える。
呑み込まれれば自分の身を滅ぼすことになるとも知らずに。
たくさんの人々を犠牲にして生み出されるものは何もないんだ。
部屋には重い沈黙が広がる。
けれどすぐにそれは打ち破られた。
「事件が解決したっていうのに、何て暗い顔してるんだろうね、君たちは」
入口には飄々としたアルトゥール様が立っていて、その後ろにはクラウスの姿が見える。
腕にナプキンをかけているのを見ると、どうやら夕食の支度が整ったらしい。
その証拠にゲルタがワゴンを運び込んできた。
載せられているのは湯気を立てた、野菜いっぱいのシチュー。
いくつかお肉も入っている。
「ハインツにはたくさん食べてもらわなきゃね。そんなほそっこい体じゃ庭師の仕事は務まらないでしょう?」
軽快に笑って彼を起こしながらシチューとスプーンを手渡す。
ゲルタの言葉にハインツは戸惑ったように瞳を動かし
「いや、俺は、そんな、これ以上お世話になるなんて」
とかなんとか、今すぐにでも出て行こうとしそうな様子を見せたけれど、それはディー様が止めてくれた。
「この屋敷の薔薇園は抜きん出て立派だそうだ。新しく雇った庭師が苦戦していたよ。早く元気になって彼らを助けてやってくれないか?」
そう言ってディー様は私に目配せしてくる。
「ですって」
彼の意図を汲み取って私も告げる。
「私たち家族にはやっぱりハインツが必要なのよ。これからもずっと、あの薔薇たちを綺麗に咲かせてあげて。お父様の愛情の証だから」
あの薔薇園をあそこまで立派にしたのはハインツだもの。
誰よりもお父様の気持ちを分かっていたあなただから出来るのよ。
気持ちを込めて彼を見つめると、ハインツは満面の笑みと共にこくりと頷いてくれたのだった。
続く