伯爵令嬢は公爵様と恋をする
Vol.31
アウシュタイナー家で過ごす久しぶりの夜は、温かくて賑やかな時間だった。
ハインツの部屋を後にした私はゲルタに促されて湯あみを先に済ませ、その間にディー様も客室に備え付けられているバスルームで湯あみを済ませたらしく、食堂に全員が揃う頃には寛ぎやすい部屋着に着替えていた。
私もゆったりしたドレスを着て席へ着く。
このお屋敷でみんなと食事が出来るなんて夢にも思っていなかった。
お父様たちが亡くなってから、お屋敷は火が消えたように静まり返っていたし、暗くて冷たい空気が漂うようになっていたから、ここでこうして誰かとテーブルを囲めるなんて奇跡みたい。
テーブルに並んだのは焼き立てのパンとトマトソースのパスタ、それに色とりどりの野菜が盛られたサラダボウルと、こんがりきつね色の焼目がついたミートパイ。
デザートには旬のフルーツを鳥や花の形に飾り切りした、フルーツポンチが用意されている。
パンを一口頬張れば、生地に練りこまれたクルミの香ばしい味が仄かに甘く、口の中に広がる。
これ…!!
あの頃と同じ。
私の大好きな「シェフ」のクルミパンだわ!
「さすがお嬢様。お気付きになられたようですな」
給仕してくれていたクラウスが満足げに頷いて見せる。
「じゃあこれを用意してくれたのはヒルベルトなのね?」
「その通りでございます」
「お久しぶりです、お嬢様」
「ヒルベルト!!」
食堂に現れた彼を見つけて、駆け寄りながら勢いよく抱き着く。
彼は各地を修行しながら旅する料理人で、偶然この地を訪れた時お父様と出会い、味惚れ込んだお父様が彼を口説き落として以来ずっと食事を作ってくれていた料理人。
「料理長」なんて大層な肩書は堅苦しいだけだから「シェフ」と呼んでほしいと常々言っていたけれど、栄養学にも精通していて、見た目に美しいだけでなくバランスの良い食事を毎食用意してくれていたのだ。
白い円筒型の帽子が似合って、大きな手は繊細な作業を難なくこなし、明るい灰色をした瞳は真摯に食材と向かい合う…とっても格好良い自慢の料理長。
衣装を変えれば上品な口調と柔らかな物腰から、どこぞの貴族のご子息に見えるだろう。
容姿もさることながらその才能を埋もれさせてはいけないと、お父様が亡くなった後は以前から声をかけてくれていた大きな一流レストランへ移ってもらったはずだった。
「どうしてここに?あちらで活躍していたのでしょう?」
「確かにライバルも豊富で刺激的な職場でしたが、決められたレシピをひたすらそれに従って作り続けるだけの単調な日々でして。何より許せなかったのは食材を無駄にすることです。見目がよいだけの料理を作るのは飽きました」
「飽きた?でも…」
「私もここが大好きなんです。新鮮で栄養豊富な食材が揃っていて、何でも美味しいと言ってきれいに食べてくださるお嬢様がいらっしゃる。それに慣れ親しんだ厨房ですから、私の居場所はやはりこのお屋敷なんですよ」
「…じゃあこれからもずっとここにいてくれるの?」
「もちろんです。ただしお嬢様専属の料理人ですから、お嬢様のいらっしゃる所に私あり、といったところでしょうか」
「本当!?」
「はい。そのようにバウムガルト公爵様から仰せつかっております」
「ディー様から!?」
じゃあディー様がヒルベルトも呼び戻してくれたの?
私はバッと彼の方へ向き直った。
あれ…?
ナイフとフォークを持ったまま硬直しているディー様が目に入る。
「ディー、ディー!しっかりして。ショックなのは分かるけど、エルフリーデ嬢が呼んでるよ!」
「んはっ!?」
ぐらぐらとアルトゥール様に揺さぶられて、ようやくディー様がこちらを向いてくれた。
ディー様ったらどうしたのかしら。
ショックって?
アルトゥール様に視線を向けても苦笑されるだけ。
あら?
バウムガルト家の料理長が作ってくれるお料理だってどれも美味しいから、ディー様も一流の料理は食べ慣れているはずなのに、そんなにヒルベルトの料理に感動してくれたのかしら?
ぼうっとして我を忘れちゃうくらい、感激してくれたの?
「美味しいですか?ディー様」
「んっ?いや、ああ、それはもちろん、とても美味しいが…」
「良かった。ディー様、ありがとうございます」
「あ、ああ」
急に頬を赤くしたディー様がちょっと心配になったけれど、食事に集中している彼を見ていたら心の中が嬉しさでいっぱいになった。
こんなに幸せな夕食は久しぶりで、私はどこかふわふわしていた。
デザートまでみんなで美味しく平らげた私たちは短いティータイムを終えると、一日の疲労感がぐっと押し寄せてきたせいで早々に寝室へ引き上げることになった。
ディー様とアルトゥール様は客室へ、私は以前と変わらない姿のまま整えられた自分の部屋へ。
ふかふかのベッドは心地いいお日様の匂いがした。
ゲルタが干してくれたのだろう。
寝台に体を横たえると思っていたよりも疲れていたのか、全身に鈍いだるさが広がっていく。
けれど心臓はいつもより幾分早い鼓動を響かせていた。
夢を見ているみたい。
静かに興奮している、そんな感じ。
お父様の無実が証明されて、アウラー男爵は捕えられ、行方知れずだったハインツと再会できた。
何もかも失ったはずなのに、お屋敷もクラウスもゲルタも、みんな戻ってきてくれた。
ディー様が取り戻してくれた。
守ってくれた。
誰もがお父様を疑ってもディー様だけは信じていてくれて、約束通り真相を解明して事件を解決してくれた。
私の不安も恐怖も全て理解して拭い去ってくれた。
与えてくれたのは喜びと幸せ。
いつだって私を置き去りにすることなく側にいさせてくれたし、抱きしめてくれた。
私はどんな時でもディー様の深い愛情に包まれていたのね…。
そう思ったら、急激に彼に会いたくなってきた。
でも多分今頃はお休みになっているだろう。
ずっと休みなく本来の仕事を事件の調査を並行して進めてくれていたし、ここ最近は逮捕劇が続いたから、疲れも溜まっているはず。
明日からの数日間は婚約披露の最終確認に追われるだろうし、今夜ぐらいゆっくりしてもらいたい。
本当はとても会いたいけど…ガマンしなくちゃ。
さっきまで一緒にいたのに、どうしてこんなに会いたいんだろう。
どうしてこんなに側にいたいんだろう。
考えるほど目は冴えて、私はとうとうベッドで横たわるのをやめて体を起こした。
夜の空気はまだ寒い。
ナイトガウンを羽織って寝台から降りると、そのままこっそり足音に気を付けて部屋を出る。
明かりの消えた廊下を、夜空の薄明かりに導かれて勝手口から外へ出た。
庭園へ向かえば一気に満天の星空が頭上に広がる。
何万もの星が敷き詰められた空はチカチカと瞬いていた。
「綺麗…」
冷たい空気を胸いっぱいに吸い込めば、何だか体中が清められていくような感覚を覚える。
思わず夜空に手を伸ばす。
と、その手は不意に温かな感触に包まれた。
「風邪をひくぞ」
耳元で心地いい低音が囁くと、あっという間に背後から抱き込まれる。
ふわりと優しい石鹸の香りが漂って鼻をくすぐる。
いつかの夜と同じ。
どうして分かっちゃうんだろう。
「誰も来ないと思ってた」
「エルのいるところに私あり、だ」
「どこかで聞いたセリフですね」
「おかしいな。私の専売特許のはずだが」
「ふふ。今夜は音を立てなかったのに、どうして分かったんですか?」
私を抱き込む逞しい腕を抱きしめながら問うと、ディー様はさらにぐっと彼の方へ私を引き寄せる。
それから掌でそっと頭を撫でてくれた。
まるで髪の質感を楽しむみたいに。
「どうしてだろうな。エルの声が聞こえた気がしたんだ」
「私の?」
「もしくは私の願望だ。側にいたかった」
そう言いながら頬に唇を寄せてくる。
「私も、ディー様に会いたかったんです。こうして一緒にいたかったの」
力強い腕の中でくるりと彼の方へ向き直ると、自然と互いの唇が触れてそのまま重なり合った。
優しく押し付けられて、唇で甘噛みされる。
応えるように彼の唇を求めて追いかけると、呼吸を奪うようにして唇を覆われた。
背伸びする足から力が抜けても、彼の腕はしっかりと私の背中を支えたまま、辛い体制になるのも構わず身を屈めてくれる。
不意に瞳を開けば、熱を孕んだ視線が絡み合った。
「ディー様」
「もどかしいな。今ここで誓いを立ててしまおうか」
「神父様は?」
「必要ない。星が祝福してくれる」
「ええ」
「いつもどんな時も、例え姿が見えなくなる時が来ても、私は変わらずエルの側にいて愛すると誓う。未来永劫、この空の星々が全て消えてなくなっても、ずっとだ」
「私も誓います。あなたの側で、永久にあなたを愛し続けると」
「幸せになろう」
「はい!」
そうして再び重ねた口付けは誓いの証。
二人で見上げた空に、いくつもの星が流れてく。
星空の向うではお父様たちもきっと祝福してくれている。
温かな夜はいつまでも私たちを包み込んでいた。
続く
アウシュタイナー家で過ごす久しぶりの夜は、温かくて賑やかな時間だった。
ハインツの部屋を後にした私はゲルタに促されて湯あみを先に済ませ、その間にディー様も客室に備え付けられているバスルームで湯あみを済ませたらしく、食堂に全員が揃う頃には寛ぎやすい部屋着に着替えていた。
私もゆったりしたドレスを着て席へ着く。
このお屋敷でみんなと食事が出来るなんて夢にも思っていなかった。
お父様たちが亡くなってから、お屋敷は火が消えたように静まり返っていたし、暗くて冷たい空気が漂うようになっていたから、ここでこうして誰かとテーブルを囲めるなんて奇跡みたい。
テーブルに並んだのは焼き立てのパンとトマトソースのパスタ、それに色とりどりの野菜が盛られたサラダボウルと、こんがりきつね色の焼目がついたミートパイ。
デザートには旬のフルーツを鳥や花の形に飾り切りした、フルーツポンチが用意されている。
パンを一口頬張れば、生地に練りこまれたクルミの香ばしい味が仄かに甘く、口の中に広がる。
これ…!!
あの頃と同じ。
私の大好きな「シェフ」のクルミパンだわ!
「さすがお嬢様。お気付きになられたようですな」
給仕してくれていたクラウスが満足げに頷いて見せる。
「じゃあこれを用意してくれたのはヒルベルトなのね?」
「その通りでございます」
「お久しぶりです、お嬢様」
「ヒルベルト!!」
食堂に現れた彼を見つけて、駆け寄りながら勢いよく抱き着く。
彼は各地を修行しながら旅する料理人で、偶然この地を訪れた時お父様と出会い、味惚れ込んだお父様が彼を口説き落として以来ずっと食事を作ってくれていた料理人。
「料理長」なんて大層な肩書は堅苦しいだけだから「シェフ」と呼んでほしいと常々言っていたけれど、栄養学にも精通していて、見た目に美しいだけでなくバランスの良い食事を毎食用意してくれていたのだ。
白い円筒型の帽子が似合って、大きな手は繊細な作業を難なくこなし、明るい灰色をした瞳は真摯に食材と向かい合う…とっても格好良い自慢の料理長。
衣装を変えれば上品な口調と柔らかな物腰から、どこぞの貴族のご子息に見えるだろう。
容姿もさることながらその才能を埋もれさせてはいけないと、お父様が亡くなった後は以前から声をかけてくれていた大きな一流レストランへ移ってもらったはずだった。
「どうしてここに?あちらで活躍していたのでしょう?」
「確かにライバルも豊富で刺激的な職場でしたが、決められたレシピをひたすらそれに従って作り続けるだけの単調な日々でして。何より許せなかったのは食材を無駄にすることです。見目がよいだけの料理を作るのは飽きました」
「飽きた?でも…」
「私もここが大好きなんです。新鮮で栄養豊富な食材が揃っていて、何でも美味しいと言ってきれいに食べてくださるお嬢様がいらっしゃる。それに慣れ親しんだ厨房ですから、私の居場所はやはりこのお屋敷なんですよ」
「…じゃあこれからもずっとここにいてくれるの?」
「もちろんです。ただしお嬢様専属の料理人ですから、お嬢様のいらっしゃる所に私あり、といったところでしょうか」
「本当!?」
「はい。そのようにバウムガルト公爵様から仰せつかっております」
「ディー様から!?」
じゃあディー様がヒルベルトも呼び戻してくれたの?
私はバッと彼の方へ向き直った。
あれ…?
ナイフとフォークを持ったまま硬直しているディー様が目に入る。
「ディー、ディー!しっかりして。ショックなのは分かるけど、エルフリーデ嬢が呼んでるよ!」
「んはっ!?」
ぐらぐらとアルトゥール様に揺さぶられて、ようやくディー様がこちらを向いてくれた。
ディー様ったらどうしたのかしら。
ショックって?
アルトゥール様に視線を向けても苦笑されるだけ。
あら?
バウムガルト家の料理長が作ってくれるお料理だってどれも美味しいから、ディー様も一流の料理は食べ慣れているはずなのに、そんなにヒルベルトの料理に感動してくれたのかしら?
ぼうっとして我を忘れちゃうくらい、感激してくれたの?
「美味しいですか?ディー様」
「んっ?いや、ああ、それはもちろん、とても美味しいが…」
「良かった。ディー様、ありがとうございます」
「あ、ああ」
急に頬を赤くしたディー様がちょっと心配になったけれど、食事に集中している彼を見ていたら心の中が嬉しさでいっぱいになった。
こんなに幸せな夕食は久しぶりで、私はどこかふわふわしていた。
デザートまでみんなで美味しく平らげた私たちは短いティータイムを終えると、一日の疲労感がぐっと押し寄せてきたせいで早々に寝室へ引き上げることになった。
ディー様とアルトゥール様は客室へ、私は以前と変わらない姿のまま整えられた自分の部屋へ。
ふかふかのベッドは心地いいお日様の匂いがした。
ゲルタが干してくれたのだろう。
寝台に体を横たえると思っていたよりも疲れていたのか、全身に鈍いだるさが広がっていく。
けれど心臓はいつもより幾分早い鼓動を響かせていた。
夢を見ているみたい。
静かに興奮している、そんな感じ。
お父様の無実が証明されて、アウラー男爵は捕えられ、行方知れずだったハインツと再会できた。
何もかも失ったはずなのに、お屋敷もクラウスもゲルタも、みんな戻ってきてくれた。
ディー様が取り戻してくれた。
守ってくれた。
誰もがお父様を疑ってもディー様だけは信じていてくれて、約束通り真相を解明して事件を解決してくれた。
私の不安も恐怖も全て理解して拭い去ってくれた。
与えてくれたのは喜びと幸せ。
いつだって私を置き去りにすることなく側にいさせてくれたし、抱きしめてくれた。
私はどんな時でもディー様の深い愛情に包まれていたのね…。
そう思ったら、急激に彼に会いたくなってきた。
でも多分今頃はお休みになっているだろう。
ずっと休みなく本来の仕事を事件の調査を並行して進めてくれていたし、ここ最近は逮捕劇が続いたから、疲れも溜まっているはず。
明日からの数日間は婚約披露の最終確認に追われるだろうし、今夜ぐらいゆっくりしてもらいたい。
本当はとても会いたいけど…ガマンしなくちゃ。
さっきまで一緒にいたのに、どうしてこんなに会いたいんだろう。
どうしてこんなに側にいたいんだろう。
考えるほど目は冴えて、私はとうとうベッドで横たわるのをやめて体を起こした。
夜の空気はまだ寒い。
ナイトガウンを羽織って寝台から降りると、そのままこっそり足音に気を付けて部屋を出る。
明かりの消えた廊下を、夜空の薄明かりに導かれて勝手口から外へ出た。
庭園へ向かえば一気に満天の星空が頭上に広がる。
何万もの星が敷き詰められた空はチカチカと瞬いていた。
「綺麗…」
冷たい空気を胸いっぱいに吸い込めば、何だか体中が清められていくような感覚を覚える。
思わず夜空に手を伸ばす。
と、その手は不意に温かな感触に包まれた。
「風邪をひくぞ」
耳元で心地いい低音が囁くと、あっという間に背後から抱き込まれる。
ふわりと優しい石鹸の香りが漂って鼻をくすぐる。
いつかの夜と同じ。
どうして分かっちゃうんだろう。
「誰も来ないと思ってた」
「エルのいるところに私あり、だ」
「どこかで聞いたセリフですね」
「おかしいな。私の専売特許のはずだが」
「ふふ。今夜は音を立てなかったのに、どうして分かったんですか?」
私を抱き込む逞しい腕を抱きしめながら問うと、ディー様はさらにぐっと彼の方へ私を引き寄せる。
それから掌でそっと頭を撫でてくれた。
まるで髪の質感を楽しむみたいに。
「どうしてだろうな。エルの声が聞こえた気がしたんだ」
「私の?」
「もしくは私の願望だ。側にいたかった」
そう言いながら頬に唇を寄せてくる。
「私も、ディー様に会いたかったんです。こうして一緒にいたかったの」
力強い腕の中でくるりと彼の方へ向き直ると、自然と互いの唇が触れてそのまま重なり合った。
優しく押し付けられて、唇で甘噛みされる。
応えるように彼の唇を求めて追いかけると、呼吸を奪うようにして唇を覆われた。
背伸びする足から力が抜けても、彼の腕はしっかりと私の背中を支えたまま、辛い体制になるのも構わず身を屈めてくれる。
不意に瞳を開けば、熱を孕んだ視線が絡み合った。
「ディー様」
「もどかしいな。今ここで誓いを立ててしまおうか」
「神父様は?」
「必要ない。星が祝福してくれる」
「ええ」
「いつもどんな時も、例え姿が見えなくなる時が来ても、私は変わらずエルの側にいて愛すると誓う。未来永劫、この空の星々が全て消えてなくなっても、ずっとだ」
「私も誓います。あなたの側で、永久にあなたを愛し続けると」
「幸せになろう」
「はい!」
そうして再び重ねた口付けは誓いの証。
二人で見上げた空に、いくつもの星が流れてく。
星空の向うではお父様たちもきっと祝福してくれている。
温かな夜はいつまでも私たちを包み込んでいた。
続く