伯爵令嬢は公爵様と恋をする
Vol.32(ディー視点) 前編



 豪奢なシャンデリアがいくつも下げられたホールには、今宵一輪のシックで大人びた艶めきを滲ませた、可憐な薔薇が一輪咲き誇っていた。
 この日のために内緒で用意したのは、薔薇をイメージしたローズピンクのワンピース型ドレスで、彼女が動くたびに裾が風にそよぐ花弁のように揺れるデザインだ。
 年若い女性が着るには少々落ち着きすぎている色かもしれないが、彼女が持つ愛らしさと時折見せる耐え難いほどの大人びた艶めきを引き立たせるには、庭園に咲く薔薇をモチーフにするのが最も相応しい。
 私の予想は的中した。
 シャンデリアの光を反射させる肌はシルクのように滑らかに際立ち、いつもなら慎ましく隠されている華奢な鎖骨も今日はくっきり浮き立って、首筋からは匂い立つような色気が漂っている。
 長く艶めいた黒髪は普段より細かくウェーブを施して胸元に垂らしており、彼女の動きに合わせて軽やかに踊る。
 正直なところ大胆に露出された彼女の白い肌や、招待客にふわりと向けられる煌めく微笑みが私以外の男の目に触れるのはいささか不愉快ではあるが、今や誰もが彼女の魅力にうっとりしているのだ。
 …いや、何だろう、この、胸の奥が締め付けられるような、それでいて浮足立ちそうな、でもやはり何というか…。
「面白くない」
「え?」
 純粋な疑問符だけを浮かべた丸い瞳がこちらを見上げた。
 心底嬉しそうに見えるのは気のせいではない…と思う。
 エルはウエストを締め付けているコルセットのせいでいつもより幾分苦しいはずだが、疲れた様子を見せることなく私の隣で上手に客たちの相手をしてくれていた。
 それこそまさに社交辞令なわけだが、浮かべられる微笑みはもちろん客に向けられていて、なかなか私の方へ向いてはくれないのだ。
 だから思わず心の声が駄々漏れてしまったのだが、代わりにこちらを向いた透き通る瞳は素直過ぎて私の方が照れてしまいそうだった。
 多分エルは知らないだろう。
 彼女にとって今一番危険な存在は、隣で澄ました顔をしながら客をあしらう私だという事を。
 元々自分がどれほど魅力的な女性か自覚のないエルは、相変わらず他人の目にその姿がどう映っているか知らないのだ。
 今夜も知的な眼鏡をかけたまま出席しているが、誰もそれをマイナスには捉えていない。
 むしろ視線を釘づけにされた男たちは小さなグラスを自分の手で外したいと思っているに違いないのだ。
 眼鏡をそっと取り上げて、唇を奪いたい。
 もちろん私もそう望んでいる。
 が、そんな邪な思考を柔和で明朗な声が遮ってくれた。
「おめでとう、ディートリヒ」
「陛下!」
 差し伸べられた手と握手をかわそうとこちらも手を伸ばす。
 と、陛下はぐっと距離を縮めて耳打ちする。
「いよいよだな」
「はい」
「彼女の説得は君に任せた。頼んだぞ」
「御意」
 私が断るはずがないんだ。
 それなのにわざわざ聞いてくるんだからまったく陛下という人は、私以上に誰かを驚かせるのが好きらしい。
 陛下はめでたいこの席を更に盛り上げようと考えているらしかった。
 例の件。
 つまりそれは数日前ようやく一件落着した事件のその後についてだ。
 事前に陛下に呼び出された私とアルは既に詳細を告げられていた。
 アウラー男爵、バルツァー侯爵、そしてモーリッツ伯爵の三名は爵位及び領地を取り上げられることになったのだ。
 アウラー領地はバウムガルト領へ、モーリッツ領はギーアスター領に含められ、私とアルが管理することになっている。
 今回の一件について功労者となった私たちへの当然の褒美らしいが、それについて実はまだ私たち以外には内緒にされていることがある。
 陛下が褒美を与えるのは三人。
 そう、その三人目が今宵この場で発表されることになっているのだ。
 イタズラを企んでいる少年のような視線で陛下はこちらへ目配せした。
 それに気付いたエルが疑問符を浮かべながら私を見上げる。
 安心して聞いてごらん、と視線で応えて頷いて見せると、エルはきょとんとしたまま陛下に向き直った。
 陛下は会場にいる全員に向かって片手をあげて合図した。
 一瞬にして静寂が広がる。
「今宵は実にめでたい夜だ。此度の一件について、立役者であるバウムガルト公爵とギーアスター公爵に褒美を与えたことは周知の事実であろう。若き二人の公爵はこの貴族社会において、自らの目と心で真実を見極め、正義を貫き通してくれた。おかげで一つ大きな闇を取り去る事が出来たことを、改めて感謝する」
 柔和でありながら強く丈夫な鋼のような陛下の言葉に私とアルは短く礼をする。
 満足げに頷く陛下は続いて穏やかな視線をエルに向けた。
「さて、ここで一つ今回の褒美について詳しい話をしたい。此度の一件で取り上げた領地についてだが…困った事に一つ、次期領主候補に辞退されてしまったんだ。どこだか分かるかね?」
「…いいえ」
 緊張と戸惑いでエルは困惑しているようだ。
 強張った表情で首を横に振る。
「ふむ。彼は広大な領地や残された莫大な財産より、大切な人々との思い出と温かな愛情を選ぶそうだ。美しい薔薇園をこれからも守っていくと言っていた。エルフリーデ、君のためにな」
「!!」
 驚いたエルの瞳が大きく開かれて言葉を失っている。
 彼女にとっては寝耳に水だろう。
 陛下の言う「彼」が誰か、エルには分かるはずだ。
 それを十分理解した上で陛下は更に続ける。
「彼はバルツァーを名乗るつもりは一生ないそうだ。然るべき人物に管理してもらえればそれでいいと、全ての相続権を放棄した。そこで、だ。エルフリーデ、君に一つ頼みがある」
「?」
「バルツァー領を君に任せたい」
「!?」
 エルは瞬時息を呑みこんだ。
 ただでさえ大きく丸まった瞳が、零れ落ちそうなほど見開かれている。
 まさか自分に領地が与えられるとは思ってもいなかったはずだ。
 陛下はそんなエルに優しく微笑んだ。
「あの後の調べで分かった。バルツァー領に暮らす人々は表向き何事もないかのように農作業に精を出していた。しかし実際は侯爵に怯えていたようだ。若い娘のいる家ではわざと娘にみすぼらしい格好をさせて、侯爵に見初められるのを防いでいた。その上侯爵は気に入らない事があると酷く泥酔して銃を持ち出す癖があった。いつその銃弾に狙われるかも分からない。領民は常に恐怖と隣り合わせで暮らしていたんだ。そんな彼らに必要なのは、愛情で彼らを包み込み、心から安心できる居場所を与えられる領主だ。君なら適任だと推薦を受けている」
「え、あの、でも」
「爵位の相続と共にアウシュタイナー領も相続することになる。バルツァー領も含めれば管理する範囲が広がり君に負担をかけることになるが…君の婚約者は大変優秀で実に頼りがいのある男だ。一人では困難な事も、二人でなら可能になるだろう」
「待ってください、陛下。爵位の相続って…」
「アウシュタイナー領は父君が命懸けで守ろうとした場所であり、君の生まれ育った土地。当然受け継ぐのは君だ」
 どこまでも優しく慈愛に満ちた瞳でエルを見つめ、小さな肩にポンと手を置いた。
 不安げに丸い瞳が揺れる。
「私で、いいのでしょうか…」
「もちろんだ。貴女のためなら領民も喜んで力を貸してくれるだろう。どうかね、引き受けてくれるか?」
 温厚な陛下の信頼がこもった瞳に見詰められれば、もう納得するしかない。
 エルは無意識に再び私を見上げたけれど、深く頷いて見せれば彼女も心を決めたようだった。
 戸惑いながらも小さくエルは頷く。
「良く決意してくれた。ありがとう。これでめでたく新たなアウシュタイナー伯爵の誕生だ」
 陛下は高らかにそう宣言した。
< 41 / 50 >

この作品をシェア

pagetop