伯爵令嬢は公爵様と恋をする
Vol.32(ディー視点)後編
人々の話し声や管弦楽の音色、ステップを踏む足音や衣擦れの音。
ホールには洪水のようにたくさんの音が溢れていた。
その喧騒から静かに遠ざかる。
これほど賑わっていればもう主役が退席しようと誰も気にする者はいない。
アルとイリーネも今頃は夜空の下で庭園を散歩している事だろう。
陛下もとっくに城へ戻られている。
誰に気兼ねすることもなくホールから逃げ出した私とエルは、今や心地よい静けさの広がるエルの部屋で、窓辺に置かれたソファにゆったりと身を任せていた。
着慣れないきついコルセットのせいで、エルは随分疲れているらしい。
顔色が悪い。
「大丈夫か?」
「はい…。でも、ちょっと、そろそろ限界かもしれません」
「部屋着に着替えるといい。私は席を外そう」
窮屈なドレスを脱いで早く楽になってほしい。
そう思って私は立ち上がりかけたのだが、くんっと、エルが白い指先で私の上着をつまんでいた。
ん?
一体どうしたのだろう。
頬を真っ赤に染めて俯いている。
「エル?」
「ディー様」
エルに見詰められた瞬間、さっきまで凪いでいたはずの心臓がどくりと跳ねあがる。
上気した頬に潤んだ瞳、濡れたように艶めく黒髪が柔らかく靡き、熟れたリンゴのような唇が無防備に私の名を呼ぶ。
破壊力は抜群だ。
しかも
「行かないで」
などと愛らしくお願いされては即着席するのは当然だ。
ついでに助長された衝動は思い切り彼女を抱きしめてもまだ、不満げに心臓を刺激した。
勢いのまま彼女を押し倒さなかった自分をほめてやりたい。
愛しい人を前にこれ以上何をどう堪えろというのか。
随分我慢強い理性に呆れながら、エルを怖がらせずに済んでいるのはその理性なのだと思い直す。
ただし「理性」という名の壁ももはや崩壊寸前だ。
何しろ芳しい彼女の首筋からうなじまでのきれいな曲線がすぐ間近にあるのだ。
今すぐ触れて口づけたい。
出来る事ならほんの少し手を動かすだけで届くリボンを解いてしまいたい。
そんな衝動に駆られているというのに、腕の中のエルは大人しく抱きしめられたまま。
二人だけで誓いを交わした。
正式な婚約の発表も済んだ。
陛下にも認められ、用意が整い次第式を挙げることになる。
エルへの想いは落ち着くどころか膨れていく一方だ。
同時に所詮私も男だ、愛するが故の欲望も高まっている。
この状況で寝台のある部屋に二人きりでいるということを、エルはどれほど意識出来ているのか。
決壊寸前の理性を何とか繋ぎ止めて彼女の顔を覗き込めば、恥ずかしそうにはにかむエルの笑顔があった。
欠片ほどしか残っていない理性を総動員する。
エルの微笑みは奪えない。
「やはりドレスを脱いだ方がいい。今夜は疲れだろう?ゆっくり休むんだ」
そう告げた直後だった。
「…脱げません」
「うん?」
「ドレス、脱いじゃダメなんです」
「…なぜ?」
思わず問い返してしまった。
確かに彼女の美しさや艶やかさを引き立てているドレスを脱いでしまうのはもったいないと思う。
一晩中でも見ていたいと思う。
が、しかしだ。
長時間着続ければどんなに我慢しても息苦しくなって具合を悪くするだろう。
更に私だって狼へ変身するまでのカウントダウンは始まっている。
今ならまだ間に合うのだというのに。
「ディ、ディー様が脱がせてくれるまで、脱いではダメなんです」
「!?」
これ以上ないほど顔を沸騰させて、泣きそうな顔をしながらそんな事を言われたら、誰だって理性など木端微塵だろう。
無論、有無を言わさず彼女を抱き上げて寝台まで運んだのは言うまでもない。
続く
人々の話し声や管弦楽の音色、ステップを踏む足音や衣擦れの音。
ホールには洪水のようにたくさんの音が溢れていた。
その喧騒から静かに遠ざかる。
これほど賑わっていればもう主役が退席しようと誰も気にする者はいない。
アルとイリーネも今頃は夜空の下で庭園を散歩している事だろう。
陛下もとっくに城へ戻られている。
誰に気兼ねすることもなくホールから逃げ出した私とエルは、今や心地よい静けさの広がるエルの部屋で、窓辺に置かれたソファにゆったりと身を任せていた。
着慣れないきついコルセットのせいで、エルは随分疲れているらしい。
顔色が悪い。
「大丈夫か?」
「はい…。でも、ちょっと、そろそろ限界かもしれません」
「部屋着に着替えるといい。私は席を外そう」
窮屈なドレスを脱いで早く楽になってほしい。
そう思って私は立ち上がりかけたのだが、くんっと、エルが白い指先で私の上着をつまんでいた。
ん?
一体どうしたのだろう。
頬を真っ赤に染めて俯いている。
「エル?」
「ディー様」
エルに見詰められた瞬間、さっきまで凪いでいたはずの心臓がどくりと跳ねあがる。
上気した頬に潤んだ瞳、濡れたように艶めく黒髪が柔らかく靡き、熟れたリンゴのような唇が無防備に私の名を呼ぶ。
破壊力は抜群だ。
しかも
「行かないで」
などと愛らしくお願いされては即着席するのは当然だ。
ついでに助長された衝動は思い切り彼女を抱きしめてもまだ、不満げに心臓を刺激した。
勢いのまま彼女を押し倒さなかった自分をほめてやりたい。
愛しい人を前にこれ以上何をどう堪えろというのか。
随分我慢強い理性に呆れながら、エルを怖がらせずに済んでいるのはその理性なのだと思い直す。
ただし「理性」という名の壁ももはや崩壊寸前だ。
何しろ芳しい彼女の首筋からうなじまでのきれいな曲線がすぐ間近にあるのだ。
今すぐ触れて口づけたい。
出来る事ならほんの少し手を動かすだけで届くリボンを解いてしまいたい。
そんな衝動に駆られているというのに、腕の中のエルは大人しく抱きしめられたまま。
二人だけで誓いを交わした。
正式な婚約の発表も済んだ。
陛下にも認められ、用意が整い次第式を挙げることになる。
エルへの想いは落ち着くどころか膨れていく一方だ。
同時に所詮私も男だ、愛するが故の欲望も高まっている。
この状況で寝台のある部屋に二人きりでいるということを、エルはどれほど意識出来ているのか。
決壊寸前の理性を何とか繋ぎ止めて彼女の顔を覗き込めば、恥ずかしそうにはにかむエルの笑顔があった。
欠片ほどしか残っていない理性を総動員する。
エルの微笑みは奪えない。
「やはりドレスを脱いだ方がいい。今夜は疲れだろう?ゆっくり休むんだ」
そう告げた直後だった。
「…脱げません」
「うん?」
「ドレス、脱いじゃダメなんです」
「…なぜ?」
思わず問い返してしまった。
確かに彼女の美しさや艶やかさを引き立てているドレスを脱いでしまうのはもったいないと思う。
一晩中でも見ていたいと思う。
が、しかしだ。
長時間着続ければどんなに我慢しても息苦しくなって具合を悪くするだろう。
更に私だって狼へ変身するまでのカウントダウンは始まっている。
今ならまだ間に合うのだというのに。
「ディ、ディー様が脱がせてくれるまで、脱いではダメなんです」
「!?」
これ以上ないほど顔を沸騰させて、泣きそうな顔をしながらそんな事を言われたら、誰だって理性など木端微塵だろう。
無論、有無を言わさず彼女を抱き上げて寝台まで運んだのは言うまでもない。
続く