伯爵令嬢は公爵様と恋をする
Vol.35
午後近くになって、何度寝したか分からないような気だるさの残る体を起こすと、ずっと感じていたはずの温もりがない事に唐突に気付いた。
掌でシーツを撫でれば微かに温もりが残っている。
ずっと抱きしめていてくれたのに。
着替えるために自室に戻ったのか、それとも仕事をしに書斎へ向かったのか、どちらに行かれたのかと漠然とした寂しさと不安を感じて辺りを見回し耳を澄ますと、少し経った頃静かに扉が開かれた。
ガウンを羽織ったままのディー様が、食事を乗せたトレイを持ってこちらへ歩み寄ってくる。
サイドテーブルに音もなくそれを置くとすぐにベッドに腰掛けて、起き抜けの私にキスして抱き寄せた。
「大丈夫、私はここにいる」
耳元に届いたのは低く鼓膜を震わす優しい声。
布越しに伝わるのはゆっくり脈打つ穏やかな鼓動。
髪を撫でるのは大きくて厚い掌。
「すまない。不安にさせたな」
「あ…いいえ、そんなこと」
「眉尻が下がっていたし、瞳が揺れていた。私がいなくて寂しかった?」
ディー様は全て理解したうえで嬉しそうに吐息を零す。
私、そんなに分かりやすい顔をしていたのかしら。
教えられた事実に少し情けなくなるけれど、温かな腕に甘やかされればそんな気持ちもすぐに溶けてしまう。
先の問いかけに小さく頷いたのを感じ取ったディー様は一層優しく抱きしめてくれてから、とんとんと背中を撫でてくれた。
「空腹だろうと思って食事を取りに行ったんだ。皆喜んで用意してくれたよ。食事も着替えも湯も、全部あっという間に。もとよりそのつもりだったが、私が食事を運ぶと言った時には既に目の前に食事がトレイごと出てきたんだ」
「ごめんなさい、ディー様にお食事を運んでもらうなんて」
「謝る必要はないよ。全ては私の独占欲がなせることだから」
「独占欲?」
「エルの色っぽい姿を誰にも見せたくなかったんだ」
「まあ」
ストレートに言われると急激に照れくさい。
思わず呟いてから顔を俯けると、ディー様の腕が緩められて頬に柔らかい口づけが落とされた。
「先に食事を済ませよう。湯あみはその後一緒に」
「えっ!?」
ゆ、湯あみを一緒に!?
どどどどどどど、どうして!?
多分全力で驚いた私は相当間の抜けた顔をしていたに違いない。
ディー様はイタズラを成功させた子供みたいに楽しげに笑って私の頭を撫でた。
それから妙に真剣な顔でこちらを覗き込む。
む。
私は口を引き結んで警戒心を強めた。
だってこの顔。
やたら真面目で凛々しくて、必要以上に私を真っ直ぐ見つめて「説得」しようとしてる。
完全なる策士の顔だ。
けれどディー様は、取り繕うように咄嗟に用意された私の警戒心などものともしない。
「一人で入りたいのか?」
「はい」
「私とだと恥ずかしい?」
「はい」
「気だるくても?」
「はい」
「足腰が痛くても?」
「っ!?は、はい」
「気を利かせたゼルダがこの部屋に入らないとしても?」
「はい!」
「そのゼルダが心配して、エルの世話を私に任せていても?」
「え?」
「少々女性に無理をさせてしまった後、きちんと面倒を見るのが紳士の仕事でも?」
きらーん。
光った。
今、絶対ディー様の目が光った気がする。
こうなるともう嫌な予感しかしない。
「ディ、ディー様?」
「そうか…エルは私に紳士としての役目を放棄しろ、と」
「えぇっ!?そ、そんなこと言ってません!」
「だが嫌なのだろう?一人で湯あみしたいのだろう?ふう。私は女性に負担をかけ続けた挙句、甲斐甲斐しく世話を焼くことも出来ず、恥をかかせてしまうとは。紳士の風上にも置けないな」
悲しげに眉を寄せてそんな事を言うから、思わず両手に拳を握って
「ディー様はちゃんと、優しくて誠実な紳士です」
と告げた時には罠の中。
「では私に任せてくれるな?」
にやり。
勝利宣言とも取れる笑みが見えた。
しまった!!
「ダメです!無理!」
そう、無理よ!恥ずかしすぎるもの!
ダメダメダメダメ。
激しく左右に首を振って涙を浮かべる私を見ても、微塵も動揺した様子のないディー様はこれでもかというほどにっこりと、満面の笑みを浮かべた。
う。
目にした途端私の頬は急速沸騰。
こういう時のディー様はすごく格好いい。
いつもは力強く輝いている瞳を三日月より細く綺麗なカーブさせ、冷静沈着で理知的な表情を底抜けに甘く溶かした笑顔なんて浮かべられたらきっと、世の女性はみんな一瞬で恋に落ちるに違いない。
少なくとも、最初から脆く崩れそうな私の抵抗力なんて吹き飛ばしてしまうくらいの破壊力だ。
次の一手は?
どこに逃げ場を求めようかしら。
激しく動揺しながらの思考はパニック状態。
一瞬たりとも隙なんて見せちゃいけなかったのに。
「無理?私には無理と?…ならば証明しようじゃないか。私の面倒見の良さを」
「ち、ちがっ」
「ふうん?」
がしっと。
音がしてもおかしくないくらい、がしっと。
いとも簡単に捕獲され抱き上げられ、心地良かったふかふかのベッドが視界から遠ざかる。
代わりに近付いたディー様のシャープな輪郭。
喉仏の些細な動きも分かるくらい間近。
落ちないようにと無意識に伸ばした手を彼の首に回すと、形のいい口元が満足げに曲線を描いていた。
「あらあらまあまあ」
こぽこぽと小気味よい音を立てるティーポットから注がれる琥珀色のお茶。
上機嫌なディー様とぐったりした私がソファに並ぶ様子を見ながらゼルダは嬉しそうに笑う。
温め直されたスープを運んできてくれたブルクハルトは涙まで流していた。
本来なら居心地のいい書斎。
読書は私の栄養源。
さらにディー様と二人で穏やかなティータイムを過ごしたり、庭園を眺めながらおしゃべりしたりできるこの空間は愛しいもの。
だから普段なら心から楽しんでいるはずなのに、今は身体的&精神的ダメージによって心身ともに疲労困憊。
男女の体力差は大きい。
それともディー様が特別なの?
日頃から鍛えていらっしゃるから、どんなに行為に及んでも疲れないの?
幼い頃からイリーネ様のお世話をしていらしたから、混浴しても涼しい顔でいられるの?
違う、絶対そんなはずない。
初めてだ、って言ってたのに。
同じく初めての私とどうしてこうも違うの!?
恥ずかしすぎて頭が沸騰しそう。
体中から力が抜けて手足が重い。
ゼルダの顔もブルクハルトの顔もまともに見られない。
出来ればお屋敷中の誰とも会いたくないくらい恥ずかしくて死にそうなのに!
羞恥心で魂を飛ばした湯あみを終えて、あちこちが軋むような体を励ましながら着替えを済ませた(こればかりはディー様の手伝いを断固拒否した)私を待っていたのは、自室で濃い青に紫がかったサファイアブルーの衣装に身を包んだディー様で、さすがに上着を羽織ってはいなかったけれどすっかり凛々しい微笑みを湛えた公爵様の姿をして、いとも簡単に私を横抱きにした。
廊下へ出てから書斎へたどり着くまでの間もその後も、どうしてかみんな口々にすれ違いざま「おめでとうございます」と祝福を送ってくれて。
だけど理由が分からないほど子供じゃないもの。
つまりディー様との間にあった事は、みんな了承済みという事。
何故!?どうして!?
どこにぶつければいいか分からないこのぐちゃぐちゃな感情は、既に行き場を失っている。
だって心から喜ばれてるんだもの。
ディー様も嬉しそうなんだもの。
こんなにたくさんの笑顔に包まれたら私だって…すっごく恥ずかしいけど嬉しくなっちゃう。
幸せだって理屈抜きで感じる。
だから、伸ばされるディー様の腕に素直に閉じ込められることにした。
「あ、あの」
「ん?」
呼びかければ穏やかな青い瞳が私を見つめる。
どこまでも静かに凪いでいる海のような深い青。
「嫌なわけじゃ、ないんです、よ?」
どうにもコントロールしきれない感情が邪魔して、彼の顔を見るのさえ躊躇ってしまうけれど、精一杯折れそうになる心を奮い立たせてそう告げれば、お伽噺の王子様より綺麗で胸を締め付ける微笑みが返ってくる。
柔らかな唇は額に落とされて、触れたそこからくすぐったさが広がった。
「解ってる。エルが最高にシャイだってことも含めて、ちゃんと解ってるよ」
「…ズルい」
これはせめてもの抵抗。
口を結んで拗ねて見せれば、決して動じることのない大人な掌が甘やかしてくれる。
前髪も、ゆったり流したままの後ろ髪も、頬も首筋も、ディー様に撫でられていない場所はもうないかもしれない。
「きっとこうしてのんびり過ごせるのも今日くらいだ。またしばらく慌ただしい日々になる。私はアウラー領の立て直しに取り掛からなければいけないし、エルもアウシュタイナー領の引き継ぎと、バルツァー領の改善が待っている」
「はい」
「一つずつ皆の手を借りながら進めていこう。もちろん私も助力を惜しまない。だから一人で頑張ろうとしなくていい。エルは公爵夫人と伯爵という二つの立場を担う事になるんだから」
そう、私は「ただの」エルフリーデじゃなくなる。
ディー様を支えられるように、そして拡大される新たなアウシュタイナー領に住む人々が幸せに暮らせるように。
託されたのは大勢の生活と未来。
不安じゃないと言えば嘘になる。
でも重要なのは既に「出来るかどうか」なんて次元とは違う。
やるしかないなら、全力を尽くすだけ。
大切なものを決して見失うことなく、守り続けていくこと。
いつだったかお父様が言っていたのを思い出す。
きっと大丈夫。
大切な人達が側にいてくれるから。
そして愛する人が一番近くにいてくれるから。
”幸せになろう”
ディー様とした約束がある限り、どこまでだって歩いていける。
「みんなの幸せが未来へ続きますように」
確かな温もりの中で、私はもう一度強く祈った。
続く
午後近くになって、何度寝したか分からないような気だるさの残る体を起こすと、ずっと感じていたはずの温もりがない事に唐突に気付いた。
掌でシーツを撫でれば微かに温もりが残っている。
ずっと抱きしめていてくれたのに。
着替えるために自室に戻ったのか、それとも仕事をしに書斎へ向かったのか、どちらに行かれたのかと漠然とした寂しさと不安を感じて辺りを見回し耳を澄ますと、少し経った頃静かに扉が開かれた。
ガウンを羽織ったままのディー様が、食事を乗せたトレイを持ってこちらへ歩み寄ってくる。
サイドテーブルに音もなくそれを置くとすぐにベッドに腰掛けて、起き抜けの私にキスして抱き寄せた。
「大丈夫、私はここにいる」
耳元に届いたのは低く鼓膜を震わす優しい声。
布越しに伝わるのはゆっくり脈打つ穏やかな鼓動。
髪を撫でるのは大きくて厚い掌。
「すまない。不安にさせたな」
「あ…いいえ、そんなこと」
「眉尻が下がっていたし、瞳が揺れていた。私がいなくて寂しかった?」
ディー様は全て理解したうえで嬉しそうに吐息を零す。
私、そんなに分かりやすい顔をしていたのかしら。
教えられた事実に少し情けなくなるけれど、温かな腕に甘やかされればそんな気持ちもすぐに溶けてしまう。
先の問いかけに小さく頷いたのを感じ取ったディー様は一層優しく抱きしめてくれてから、とんとんと背中を撫でてくれた。
「空腹だろうと思って食事を取りに行ったんだ。皆喜んで用意してくれたよ。食事も着替えも湯も、全部あっという間に。もとよりそのつもりだったが、私が食事を運ぶと言った時には既に目の前に食事がトレイごと出てきたんだ」
「ごめんなさい、ディー様にお食事を運んでもらうなんて」
「謝る必要はないよ。全ては私の独占欲がなせることだから」
「独占欲?」
「エルの色っぽい姿を誰にも見せたくなかったんだ」
「まあ」
ストレートに言われると急激に照れくさい。
思わず呟いてから顔を俯けると、ディー様の腕が緩められて頬に柔らかい口づけが落とされた。
「先に食事を済ませよう。湯あみはその後一緒に」
「えっ!?」
ゆ、湯あみを一緒に!?
どどどどどどど、どうして!?
多分全力で驚いた私は相当間の抜けた顔をしていたに違いない。
ディー様はイタズラを成功させた子供みたいに楽しげに笑って私の頭を撫でた。
それから妙に真剣な顔でこちらを覗き込む。
む。
私は口を引き結んで警戒心を強めた。
だってこの顔。
やたら真面目で凛々しくて、必要以上に私を真っ直ぐ見つめて「説得」しようとしてる。
完全なる策士の顔だ。
けれどディー様は、取り繕うように咄嗟に用意された私の警戒心などものともしない。
「一人で入りたいのか?」
「はい」
「私とだと恥ずかしい?」
「はい」
「気だるくても?」
「はい」
「足腰が痛くても?」
「っ!?は、はい」
「気を利かせたゼルダがこの部屋に入らないとしても?」
「はい!」
「そのゼルダが心配して、エルの世話を私に任せていても?」
「え?」
「少々女性に無理をさせてしまった後、きちんと面倒を見るのが紳士の仕事でも?」
きらーん。
光った。
今、絶対ディー様の目が光った気がする。
こうなるともう嫌な予感しかしない。
「ディ、ディー様?」
「そうか…エルは私に紳士としての役目を放棄しろ、と」
「えぇっ!?そ、そんなこと言ってません!」
「だが嫌なのだろう?一人で湯あみしたいのだろう?ふう。私は女性に負担をかけ続けた挙句、甲斐甲斐しく世話を焼くことも出来ず、恥をかかせてしまうとは。紳士の風上にも置けないな」
悲しげに眉を寄せてそんな事を言うから、思わず両手に拳を握って
「ディー様はちゃんと、優しくて誠実な紳士です」
と告げた時には罠の中。
「では私に任せてくれるな?」
にやり。
勝利宣言とも取れる笑みが見えた。
しまった!!
「ダメです!無理!」
そう、無理よ!恥ずかしすぎるもの!
ダメダメダメダメ。
激しく左右に首を振って涙を浮かべる私を見ても、微塵も動揺した様子のないディー様はこれでもかというほどにっこりと、満面の笑みを浮かべた。
う。
目にした途端私の頬は急速沸騰。
こういう時のディー様はすごく格好いい。
いつもは力強く輝いている瞳を三日月より細く綺麗なカーブさせ、冷静沈着で理知的な表情を底抜けに甘く溶かした笑顔なんて浮かべられたらきっと、世の女性はみんな一瞬で恋に落ちるに違いない。
少なくとも、最初から脆く崩れそうな私の抵抗力なんて吹き飛ばしてしまうくらいの破壊力だ。
次の一手は?
どこに逃げ場を求めようかしら。
激しく動揺しながらの思考はパニック状態。
一瞬たりとも隙なんて見せちゃいけなかったのに。
「無理?私には無理と?…ならば証明しようじゃないか。私の面倒見の良さを」
「ち、ちがっ」
「ふうん?」
がしっと。
音がしてもおかしくないくらい、がしっと。
いとも簡単に捕獲され抱き上げられ、心地良かったふかふかのベッドが視界から遠ざかる。
代わりに近付いたディー様のシャープな輪郭。
喉仏の些細な動きも分かるくらい間近。
落ちないようにと無意識に伸ばした手を彼の首に回すと、形のいい口元が満足げに曲線を描いていた。
「あらあらまあまあ」
こぽこぽと小気味よい音を立てるティーポットから注がれる琥珀色のお茶。
上機嫌なディー様とぐったりした私がソファに並ぶ様子を見ながらゼルダは嬉しそうに笑う。
温め直されたスープを運んできてくれたブルクハルトは涙まで流していた。
本来なら居心地のいい書斎。
読書は私の栄養源。
さらにディー様と二人で穏やかなティータイムを過ごしたり、庭園を眺めながらおしゃべりしたりできるこの空間は愛しいもの。
だから普段なら心から楽しんでいるはずなのに、今は身体的&精神的ダメージによって心身ともに疲労困憊。
男女の体力差は大きい。
それともディー様が特別なの?
日頃から鍛えていらっしゃるから、どんなに行為に及んでも疲れないの?
幼い頃からイリーネ様のお世話をしていらしたから、混浴しても涼しい顔でいられるの?
違う、絶対そんなはずない。
初めてだ、って言ってたのに。
同じく初めての私とどうしてこうも違うの!?
恥ずかしすぎて頭が沸騰しそう。
体中から力が抜けて手足が重い。
ゼルダの顔もブルクハルトの顔もまともに見られない。
出来ればお屋敷中の誰とも会いたくないくらい恥ずかしくて死にそうなのに!
羞恥心で魂を飛ばした湯あみを終えて、あちこちが軋むような体を励ましながら着替えを済ませた(こればかりはディー様の手伝いを断固拒否した)私を待っていたのは、自室で濃い青に紫がかったサファイアブルーの衣装に身を包んだディー様で、さすがに上着を羽織ってはいなかったけれどすっかり凛々しい微笑みを湛えた公爵様の姿をして、いとも簡単に私を横抱きにした。
廊下へ出てから書斎へたどり着くまでの間もその後も、どうしてかみんな口々にすれ違いざま「おめでとうございます」と祝福を送ってくれて。
だけど理由が分からないほど子供じゃないもの。
つまりディー様との間にあった事は、みんな了承済みという事。
何故!?どうして!?
どこにぶつければいいか分からないこのぐちゃぐちゃな感情は、既に行き場を失っている。
だって心から喜ばれてるんだもの。
ディー様も嬉しそうなんだもの。
こんなにたくさんの笑顔に包まれたら私だって…すっごく恥ずかしいけど嬉しくなっちゃう。
幸せだって理屈抜きで感じる。
だから、伸ばされるディー様の腕に素直に閉じ込められることにした。
「あ、あの」
「ん?」
呼びかければ穏やかな青い瞳が私を見つめる。
どこまでも静かに凪いでいる海のような深い青。
「嫌なわけじゃ、ないんです、よ?」
どうにもコントロールしきれない感情が邪魔して、彼の顔を見るのさえ躊躇ってしまうけれど、精一杯折れそうになる心を奮い立たせてそう告げれば、お伽噺の王子様より綺麗で胸を締め付ける微笑みが返ってくる。
柔らかな唇は額に落とされて、触れたそこからくすぐったさが広がった。
「解ってる。エルが最高にシャイだってことも含めて、ちゃんと解ってるよ」
「…ズルい」
これはせめてもの抵抗。
口を結んで拗ねて見せれば、決して動じることのない大人な掌が甘やかしてくれる。
前髪も、ゆったり流したままの後ろ髪も、頬も首筋も、ディー様に撫でられていない場所はもうないかもしれない。
「きっとこうしてのんびり過ごせるのも今日くらいだ。またしばらく慌ただしい日々になる。私はアウラー領の立て直しに取り掛からなければいけないし、エルもアウシュタイナー領の引き継ぎと、バルツァー領の改善が待っている」
「はい」
「一つずつ皆の手を借りながら進めていこう。もちろん私も助力を惜しまない。だから一人で頑張ろうとしなくていい。エルは公爵夫人と伯爵という二つの立場を担う事になるんだから」
そう、私は「ただの」エルフリーデじゃなくなる。
ディー様を支えられるように、そして拡大される新たなアウシュタイナー領に住む人々が幸せに暮らせるように。
託されたのは大勢の生活と未来。
不安じゃないと言えば嘘になる。
でも重要なのは既に「出来るかどうか」なんて次元とは違う。
やるしかないなら、全力を尽くすだけ。
大切なものを決して見失うことなく、守り続けていくこと。
いつだったかお父様が言っていたのを思い出す。
きっと大丈夫。
大切な人達が側にいてくれるから。
そして愛する人が一番近くにいてくれるから。
”幸せになろう”
ディー様とした約束がある限り、どこまでだって歩いていける。
「みんなの幸せが未来へ続きますように」
確かな温もりの中で、私はもう一度強く祈った。
続く