伯爵令嬢は公爵様と恋をする
Vol.36 前編
あれから数日後、国で一番大きな教会の司教から届いた手紙には「結婚に一切の支障がない事を証明する」という旨が書かれており、いよいよひと月後に式を迎えることが決定した。
式の準備は舞踏会と違ってほとんどをブルクハルトとゼルダが取り仕切ってくれている。
おかげで私に出来るのはドレスを決めることくらいだった。
仕立て屋さんが持って来てくれた生地やデザインはどれも素敵で、一体どれが自分に似合うのか、こういった事に疎い私は「最高の一着」を決めかねていたのだけれど、飽きもせずあれこれアドバイスしてくれたのがイリーネ様だ。
しかもとっておきのプレゼントだと、彼女自らが刺繍した長いレースのヴェールが用意されていた。
思いもよらない素敵な贈り物に感動した私が泣きそうになると
「涙は式の日まで取っておいてね」
と、愛らしい笑顔で言われた。
それでも溢れんばかりの喜びを堪えるのは難しくて、天使のような微笑みを浮かべるイリーネ様を思い切り抱きしめてしまったのだけれど、彼女はそれを快く受け止めてくれた。
そんな私のドレス選びは順調に進み、
「エルフリーデ様はどのような形がお好きですか?ネックラインは隠すものと見せるものとどちらがよろしいでしょう?」
「ディー様はどちらを好まれるのかしら?」
問われるままぽつりと呟けば、仕立て屋のシュトルツとイリーネ様の瞳がにっこりと細められた。
「エルお姉様ったら。ちょっと妬けちゃうわ。仲良しで何よりだけど」
「ディートリヒ様ならどちらのドレスを選んでもお喜びになるかと…強いて言うなら余計な布地は少ない方がよろしいかもしれませんが」
何だか意味深な視線が向けられた。
どういう事?
首を傾げる私をよそに、二人は意見が一致したらしく声をそろえて
「「ネックラインは見せる方向で」」
と決定したらしい。
「肌が最も美しく映えるのがいいわ」
「露出度が高くてもあくまで清楚さが大切でございますね」
すぐに話題は襟ぐりの形をどうするかに移っていた。
各パーツごとにいくつかアイディアが出され、好みや全体のバランスを考えながら次第にドレスの全体が見えてくる。
「後ろ身頃のトレーン(裾)にレースで薔薇を形作って流れを描くのも素敵だと思うの。きっと歩くたびに裾が揺れるでしょう?花が風にそよぐみたいで綺麗よ」
「ほほう、確かに遊び心もあってディートリヒ様も喜ばれますな。ヴェールとのバランスを考えると、少し短めのトレーンにしたほうがよろしいかと。いかがですか?エルフリーデ様」
「よろしくおねがいします」
最後に裾部分のデザインが決まって、ドレス選びは完了した。
私の意思を尊重するために席を外したディー様にデザインは全て内緒のウエディングドレス。
シュトルツによれば、元々花婿は式が始まるまで花嫁の様子を見ることが出来ないものなのだという。
当日は最高の驚きと喜びを感じられるのも花婿の醍醐味だからと、納得させられたのだけれど…あんなに露出度が高くなるとは思わなかった。
最も肌を美しく際立たせるために襟ぐりどころか胸元ぎりぎりまで布地を取り払ったビスチェタイプが採用されたおかげで、首筋も鎖骨も肩も両腕も、それこそ指先までまるごと露出されるデザインなのだ。
厭らしく見えないのは愛らしさと大人っぽさの中間にある、アルファベットのAのようなラインの形であることと、イリーネ様が作ってくださったヴェールでほとんどが覆われるから。
それが救いだと思う。
当日ディー様にどんな反応されるか今から少し心配だったけれど、そんな私には大切な仕事が待っていた。
元バルツァー領であり,新たにアウシュタイナー領に組み込まれた「レッヒェルン」の管理と運営だ。
もちろん初心者領主となった私の隣には頼もしい「先生」がいてくれる。
おかげでこうして初めて訪れた地で、心細い思いをせずに済んだ。
緑豊かな田園風景の広がるレッヒェルンの街並み。
そよ風になびく木々が葉擦れの音を奏でていた。
向かったのは冷たく重い、石造りのお屋敷。
まるで砦のようにがっしりした建物は、沈み込んでしまいそうなほど憂鬱な空気を辺りに漂わせ、生気の失せた奇妙な沈黙に覆われている。
アウラー領より外観はいいけれど、何とか体裁が保たれているといったところなのかもしれない。
田畑で作業する人たちの表情は険しい。
事前に届けられた実態調査の結果に目を通せば、レッヒェルンの実情が浮かび上がってくる。
毎年収穫時期に一定の税を納めることになっている領民は、それを捻りだすために一年中休みなく働くことを余儀なく迫られていた。
しかも作物によって収穫時期が異なる事を巧みに利用され、それぞれに税が課せられていたのだ。
そうあっては利益も何もない。
人々は侯爵が好き勝手するため、そして彼の犯罪を隠ぺいし葬り去る費用を生み出すための道具として扱われていた。
辛うじてぎりぎりの生活が営まれていたのは、レッヒェルンに長年暮らし、人々を何とか守ろうと懸命に奔走していた長老のおかげなのだという。
けれど限界だった。
すでに休みなく作物を植え続けた土地は痩せ、年々収穫量は減少の一途を辿っていた。
その上人々は疲弊し、年若い娘たちは出来るだけレッヒェルンから逃がされていたから、新生児も減って高齢者が増加した。
当然労働力も不足していく。
マイナスのサイクルだけが続いていく中で今回の領主交代劇が起こり、侯爵が亡くなった事に安堵した反面、新たな領主が年端もいかずしかも女伯爵で…という不安も起こったのだろう。
陛下から発表があった日から数日後、私の元に「一度レッヒェルンを訪れて、ぜひ自分たちと会って話をしてくれないか」と嘆願書が届けられたのだ。
そして今、私とディー様は「ぜひ」と望まれた場所に立っている。
たくさんの苦しみと絶望が詰まった屋敷。
前庭には既にレッヒェルンの長老を筆頭とした領民が何十人と集まっていた。
「初仕事だ。行っておいで、エル」
「はい」
「私はここで見守っているから」
優しい声に送り出される。
いよいよだ。
こくり、と唾を呑む。
緊張してる。
指先が冷たいし、手が震える。
拳をぐっと握って気持ちを奮い立たせると、私は一歩彼らに近付いた。
不安と疑い、戸惑いといった感情のこもった視線がこちらを静かに見つめている。
大丈夫、彼らは敵ではない。
長い間バルツァー侯爵の元で常に命の危険を感じ、最大限の恐怖を味わってきたんだもの、手放しでこちらを迎えられるはずがない。
確信も確証もない状態で新しい領主ですと言われても、はいそうですか、なんて簡単にいかない事は解ってる。
領主として私に出来ることは、まず真っ直ぐ彼らと向き合うこと。
そしてここが安住の地であると約束すること。
今まで強いられてきた侯爵の支配から本当に解放されたのだと感じてほしい。
「初めまして、エルフリーデ・アウシュタイナーと申します。今日はどうかみなさんの正直なお気持ちをお聞かせください」
そう告げて丁寧にお辞儀すると、彼らは不思議そうな顔で私を見つめかえすのだった。
あれから数日後、国で一番大きな教会の司教から届いた手紙には「結婚に一切の支障がない事を証明する」という旨が書かれており、いよいよひと月後に式を迎えることが決定した。
式の準備は舞踏会と違ってほとんどをブルクハルトとゼルダが取り仕切ってくれている。
おかげで私に出来るのはドレスを決めることくらいだった。
仕立て屋さんが持って来てくれた生地やデザインはどれも素敵で、一体どれが自分に似合うのか、こういった事に疎い私は「最高の一着」を決めかねていたのだけれど、飽きもせずあれこれアドバイスしてくれたのがイリーネ様だ。
しかもとっておきのプレゼントだと、彼女自らが刺繍した長いレースのヴェールが用意されていた。
思いもよらない素敵な贈り物に感動した私が泣きそうになると
「涙は式の日まで取っておいてね」
と、愛らしい笑顔で言われた。
それでも溢れんばかりの喜びを堪えるのは難しくて、天使のような微笑みを浮かべるイリーネ様を思い切り抱きしめてしまったのだけれど、彼女はそれを快く受け止めてくれた。
そんな私のドレス選びは順調に進み、
「エルフリーデ様はどのような形がお好きですか?ネックラインは隠すものと見せるものとどちらがよろしいでしょう?」
「ディー様はどちらを好まれるのかしら?」
問われるままぽつりと呟けば、仕立て屋のシュトルツとイリーネ様の瞳がにっこりと細められた。
「エルお姉様ったら。ちょっと妬けちゃうわ。仲良しで何よりだけど」
「ディートリヒ様ならどちらのドレスを選んでもお喜びになるかと…強いて言うなら余計な布地は少ない方がよろしいかもしれませんが」
何だか意味深な視線が向けられた。
どういう事?
首を傾げる私をよそに、二人は意見が一致したらしく声をそろえて
「「ネックラインは見せる方向で」」
と決定したらしい。
「肌が最も美しく映えるのがいいわ」
「露出度が高くてもあくまで清楚さが大切でございますね」
すぐに話題は襟ぐりの形をどうするかに移っていた。
各パーツごとにいくつかアイディアが出され、好みや全体のバランスを考えながら次第にドレスの全体が見えてくる。
「後ろ身頃のトレーン(裾)にレースで薔薇を形作って流れを描くのも素敵だと思うの。きっと歩くたびに裾が揺れるでしょう?花が風にそよぐみたいで綺麗よ」
「ほほう、確かに遊び心もあってディートリヒ様も喜ばれますな。ヴェールとのバランスを考えると、少し短めのトレーンにしたほうがよろしいかと。いかがですか?エルフリーデ様」
「よろしくおねがいします」
最後に裾部分のデザインが決まって、ドレス選びは完了した。
私の意思を尊重するために席を外したディー様にデザインは全て内緒のウエディングドレス。
シュトルツによれば、元々花婿は式が始まるまで花嫁の様子を見ることが出来ないものなのだという。
当日は最高の驚きと喜びを感じられるのも花婿の醍醐味だからと、納得させられたのだけれど…あんなに露出度が高くなるとは思わなかった。
最も肌を美しく際立たせるために襟ぐりどころか胸元ぎりぎりまで布地を取り払ったビスチェタイプが採用されたおかげで、首筋も鎖骨も肩も両腕も、それこそ指先までまるごと露出されるデザインなのだ。
厭らしく見えないのは愛らしさと大人っぽさの中間にある、アルファベットのAのようなラインの形であることと、イリーネ様が作ってくださったヴェールでほとんどが覆われるから。
それが救いだと思う。
当日ディー様にどんな反応されるか今から少し心配だったけれど、そんな私には大切な仕事が待っていた。
元バルツァー領であり,新たにアウシュタイナー領に組み込まれた「レッヒェルン」の管理と運営だ。
もちろん初心者領主となった私の隣には頼もしい「先生」がいてくれる。
おかげでこうして初めて訪れた地で、心細い思いをせずに済んだ。
緑豊かな田園風景の広がるレッヒェルンの街並み。
そよ風になびく木々が葉擦れの音を奏でていた。
向かったのは冷たく重い、石造りのお屋敷。
まるで砦のようにがっしりした建物は、沈み込んでしまいそうなほど憂鬱な空気を辺りに漂わせ、生気の失せた奇妙な沈黙に覆われている。
アウラー領より外観はいいけれど、何とか体裁が保たれているといったところなのかもしれない。
田畑で作業する人たちの表情は険しい。
事前に届けられた実態調査の結果に目を通せば、レッヒェルンの実情が浮かび上がってくる。
毎年収穫時期に一定の税を納めることになっている領民は、それを捻りだすために一年中休みなく働くことを余儀なく迫られていた。
しかも作物によって収穫時期が異なる事を巧みに利用され、それぞれに税が課せられていたのだ。
そうあっては利益も何もない。
人々は侯爵が好き勝手するため、そして彼の犯罪を隠ぺいし葬り去る費用を生み出すための道具として扱われていた。
辛うじてぎりぎりの生活が営まれていたのは、レッヒェルンに長年暮らし、人々を何とか守ろうと懸命に奔走していた長老のおかげなのだという。
けれど限界だった。
すでに休みなく作物を植え続けた土地は痩せ、年々収穫量は減少の一途を辿っていた。
その上人々は疲弊し、年若い娘たちは出来るだけレッヒェルンから逃がされていたから、新生児も減って高齢者が増加した。
当然労働力も不足していく。
マイナスのサイクルだけが続いていく中で今回の領主交代劇が起こり、侯爵が亡くなった事に安堵した反面、新たな領主が年端もいかずしかも女伯爵で…という不安も起こったのだろう。
陛下から発表があった日から数日後、私の元に「一度レッヒェルンを訪れて、ぜひ自分たちと会って話をしてくれないか」と嘆願書が届けられたのだ。
そして今、私とディー様は「ぜひ」と望まれた場所に立っている。
たくさんの苦しみと絶望が詰まった屋敷。
前庭には既にレッヒェルンの長老を筆頭とした領民が何十人と集まっていた。
「初仕事だ。行っておいで、エル」
「はい」
「私はここで見守っているから」
優しい声に送り出される。
いよいよだ。
こくり、と唾を呑む。
緊張してる。
指先が冷たいし、手が震える。
拳をぐっと握って気持ちを奮い立たせると、私は一歩彼らに近付いた。
不安と疑い、戸惑いといった感情のこもった視線がこちらを静かに見つめている。
大丈夫、彼らは敵ではない。
長い間バルツァー侯爵の元で常に命の危険を感じ、最大限の恐怖を味わってきたんだもの、手放しでこちらを迎えられるはずがない。
確信も確証もない状態で新しい領主ですと言われても、はいそうですか、なんて簡単にいかない事は解ってる。
領主として私に出来ることは、まず真っ直ぐ彼らと向き合うこと。
そしてここが安住の地であると約束すること。
今まで強いられてきた侯爵の支配から本当に解放されたのだと感じてほしい。
「初めまして、エルフリーデ・アウシュタイナーと申します。今日はどうかみなさんの正直なお気持ちをお聞かせください」
そう告げて丁寧にお辞儀すると、彼らは不思議そうな顔で私を見つめかえすのだった。