LAST SEX
序章
まだ肌寒さが残る四月半ばの午後、天気予報を裏切って突然雨が降ってきた
平日の午後二時のスターバックスは程よく人が入っている。

『私』はカップをのせたトレイをテーブルに置いて、窓際のカウンター席にドサッと腰を下ろす
ここから、行き交う人たちを観察する事が好きだった。

あの人美人だな。優しいそー。イケメンだわ。でも結婚してるか。そのシャツにそれって、あり得ないでしょ。高校生がヴィトンを持ってっても、全然似合わない。
勝手な評価をする。その対象になった人には、はた迷惑なことだった。それでも自分にとっては、ちょっとたストレス発散になる。

(やけにカップル多くない?)

はしゃぎながら歩く二人。一本の傘で身を寄せて歩く二人。手をつないで、駆けて行く二人。カップル。カップル。カップル。この世にはカップルしかいないのかと思うくらいに、カップルばかりが目に付く。

(あれ?今時カップルって言うんだっけ?)

タンブラーに視線を戻し蓋を開けると、柔らかな泡が現れた。ふぅと息をかけると、泡は奥へと進む。それが戻る前にゆっくりとラテを啜った。
我ながら、蓋を開けて飲むなんてかっこ悪いなと思う。

(そういえば、最後にしたのっていつだっけ)

熱いラテが喉元を過ぎるのと同時に再び窓の外を見た。

(世の中カップルの方が相対数多いのかしら)

勿論カップルだけでじゃない。オフィスワーカー、学生、親子、外人‥平日の午後三時でもは多くの人々が行き交っていた。

(外人‥ああ‥あいつか‥あいつが最後か)

大きな溜息が漏れた。




「実は四十四歳なんだよね。それを書いたらさ、五十代のばばぁばっかりがアクセスしてくるから」

そう言うのは、ペンパルサイトで知り合った欧米人だ。彼は流暢な日本語で話す英会話スクールの講師で小さい男だった。

「シカゴが出身なんだけど、ラスベガスって言った方が、モテるでしょ。特に日本人はさ」

背も小さいけど器もお猪口並みの男だな。母国では女子にもてなかったなんだろうな。身長百七十センチメートル以上って書いてなかった?どう見ても百六十ないでしょ。百五十ニで八センチのヒール履いた私の方が背が高いんだし。
聴覚の1番遠いところで『私』は、その小物の言葉を冷やかに聞き流す。

「オレの大きいよ?」

そう言ってその男の自宅兼スクールのマンションの狭いエレベーターの中で、二人きりな事をいいことに、おもむろに自分のモノをだした。

「大きいよね?」
「ええ‥そうね」

『私』は照れたフリをして応える。こんなところで自慢するなんて自分に自信もない下品なクソ男だ。それに自慢するソレは、特に大きくもないイチモツだった。
男のイチモツは身体の大きさに比例するとも言われてるし、その人種にもよるという。この小物は背も低いので、なるほど納得という印象しかなかった。
アラサーもアラフォーに近づく年齢になると、イチモツも見せられたくらいでは驚かない。しかも、職業柄見慣れているので感情は出てこないものだ。
エレベーターを降りて、その小物の後を歩く。
小物が部屋のドアを開けると小部屋が一つと六畳弱のダイニングキッチンとリビングという狭い部屋があった。こんな狭くてスクールやって、区内だしね。こんな部屋でも家賃は二十万はするのだろう。

『私』の脳が、肝心な部分をシャットアウトしている。
なんの感情もなく、部屋を見回していると、小物が抱きしめてきた。もうヤル気だ。
でも、それでいい。早く済ませよう。私も一年くらいご無沙汰だし。
処理だけでいい。相手になにも期待しない。男と結婚するとか、恋人とかそんな縛りは面倒だ。

案の定。キスもなく前戯もおざなりの"処理"だけのセックスだった。
汚い風呂場でシャワーを浴びて、『私』は小物が寝ているうちに部屋を出ていった。そこからは、一切連絡はしてないし無論かかってもこない。
こんな小物の所にきている生徒はたかがしれてるな。とも思う。と思いながら、こんなバカな小物と分かっていても一回とはいえ関係してしまった"私"は、たかがしれてるどころか、どうしようもなく馬鹿な女だなと、辟易してしまう。

(なにやってんだろ‥。子どもほったらかしにしてまで)

帰りの電車の窓に映る自分の顔が酷く不細工で老け込んでいた。目的地の駅に着き、家までタクシーを使おうかと思ったけれど、今夜はもう他人と会う気になれなかった。

(うん。歩こう)

慣れないヒールが痛い。それでも『私』は脱がずに歩こうと決めた。つまらない事だけど、自分への罰を与えたかった。
軽率な事をした自分への罰。

駅から家に着くのに、三十分はかかった。いつもの倍の時間だ。到着した頃には、足の痛さはピークにきていた。ドアを開けヒールを脱ぎ捨てよう思ったが、浮腫みも手伝ってなかなか足から剥がれない。痛さを噛み殺してようやく、両足がヒールから解放された。その親指と小指の外側には、罪の代償のように大きな水ぶくれができていた。

(これくらいで済んで良かった)

それよりも、子ども達の顔が早くみたかった。彼らの顔を見たら罪が許される気がしたのだ。

『私』は 声を殺して子ども達の部屋のドアを開けようと手をノブに置いた。
「え‥?」

その時、ドアノブが拒絶するようにヒヤリとして"私"はドアノブを回すのをやめた。そして、そのまま向きを変え子ども部屋の向かいにある浴室へ向かう。
自分がやってしまった事は、自分が考えるよりもずっと罪深い事だったのではないか?

『私』はもう一度身体全部を丁寧に丁寧に洗う。何度も何度も洗い流しながら、なにをやってるんだ?と呟いてた。
ようやく、浴室から出ると"私"は急いで身体を拭きワンピースのナイトウェアを強引にかぶる。歯磨きもよりいっそう丁寧にすませた。そして『私』は、すぐに子ども達の寝ている部屋のドアをあける。ドアノブはヒヤリとしなかった。ドアノブは『私』にこの部屋に入る許可をくれたようだ。

二人の子どもは、深い眠りの中にいた。当然だ。もう午前ニ時も近い。長男は十四歳とはいえ、下の長女はまだ九歳だ。こんな時間まで、起きているはずもない。
六畳の部屋に布団を並べている。長男は、いつでもドアの側で本棚に近い場所で寝ている。妹が万が一にドアや本棚にぶつかることがないように、本棚が倒れても妹が下敷きにならないようにしてくれていた。長男は、わざわざ口には出さないが、いつでも妹を護って、そして、寄り添っていた。

『私』はそっと長男の頬にキスをした。十四歳だけにやっぱりぷにぷにっとした頬っぺたに、『私』は安心する。

(拓弥にチュするの何年ぶりだろ?チュしたって知ったら怒るだろうな)

自然と"私"から笑みがこぼれた。もう一度、拓弥に触れたくて頭を軽く撫でると、拓也はううんと声を洩らし、身体の向きを変えた。

(起きないんだよね)

クスッと『私』が笑った。そして、長女の方へ移動しそっと抱きしめた。長女は一瞬目を開けて、自分の母親であることを確認すると、ニコッと笑う。そして『私』を離すまいと、ぎゅうと胸に顔をうずめてきた。

幼い長女の笑顔はいつも、母親を笑顔にしようとしてくれている。一生懸命その小さい身体でいっぱいの愛情を私に与えてくれていた。

(花梨‥ごめんね。こんなお母さんでごめんね)

涙が溢れる。辛い思いをさせてやっとこの生活を手にいれたのに、またさみしい思いをさせてしまった。

(いつからだろ。自分を安売りしてるのは。こんな優しくて立派な子ども達の母親に相応しくなりたいはずだったのに)

花梨を抱き締める。頭を撫でて髪の匂い吸い込み『私』は、目を閉じた。




雨がより一層激しく降ってきた。
同時に店内も混み合ってきたようで『私』の空いている席に、白人の男性が腰を下ろした。そして、アイフォンを取り出すと、さして楽しくもない表情で、画面をタップしていた。その男は『私』の視線を感じたのだろうか、チラリとブルーの瞳をこちらに向けた。

視線がぶつかるのを、避けるように『私』はタンブラーの蓋をもどす。ラテも飲み口から安心して、飲めるくらいの好みの温度になっていた。だけれど、『私 』は口をつけることはなく、ジッとそれを見つめていた。

子ども達は、もう十分に『私』よりしっかりと現実を捉えているようだ。過ぎ去った者や過去にしがみつくことがなく、前を見ている。

『私』は。

『私』はどうなのだろうか?子ども達と三人の新しい生活が始まって、幸せを感じていたはずだ。やっと安息の場所を手に入れたのだ。結婚や恋人関係など、懲りたはずだ。
なのに、結局「男」を探している。「男」から得られる自分への愛情を求めている。独りだと感じる淋しさを埋めてもらう。そんな「男」を。

「男」は自分にとって必要なのか、そうではないのか。私は「男」を本気で愛したことがあっただろうか?「男」だけじゃない。「他人」を愛したことはあったのだろうか?求めるばかりで、与えたことはあったのだろうか?考えることは、堂々巡りで答えなど出るはずもない。ただ、言えるのは過ちを繰り返したくないということだけだ。

私にとってその過ちは、繰り返し同じような恋愛をしていたことだった。自分を信じないことだとか、大切にしないこととか。子どもは、母親の本能で大切にするし、無条件で愛している。
ただ、他人を愛することができない自分が、他人を愛するようになったとき、私の残りの人生は意味を成すのではないかと思った。

『愛する』ということがわからない自分は、その目標を明確にする事ができない。だから‥。

だから、単純に後悔しないセックスがしたいと思った。三十九歳という年齢から言っても、セックスの回数は減っていく。
だったら、次のセックスは人生最後のセックスになるかもしれない。それならば、最後のセックスは自分が"これが最後のセックスをする人"と納得したい。

セックス事態が好きとかではなく、その行為は特別な行為であると、私の内にあった。一番相手を知る行為。快楽を得るための行為という感覚は、セックスを覚え始めた頃のこと。今、自分の中にある“セックス”というのは、残り半分をどう生きるか重要な行為の一つなのだ。

獣が、無防備にお腹を見せるという行為は相手に心を許していることを示すという。セックスと言うのはそれと同じようなものだろ。そうでもないこともあるが、往往にしてそうではないかと思う。

だから『私』は最後のセックスを『後悔』したくない。

最後のセックスは初めてのセックスより、ずっと素晴らしいものでなくてはならないのだ。
そう。

自分が自分であるために。
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