LAST SEX
一章
一章

「別れちゃったんですよ。実は」

早めに出勤してきた『私』に、待ち構えていたかのように話すのは、同僚の示野香織だった。

「十年付き合ってた彼氏?」
「そうなんです。奈美恵さん、飲みに行きましょうよ」

香織は職場ではあまり表情を崩さない女だった。それでいて、仕事にはストイックな為に、しばし周りから誤解を受けやすく彼女を苦手とする同僚やスタッフが多かった。
そんな彼女とたまにお酒を、飲みに行くことがある。『私』は彼女が嫌いではなかったし、誰よりも仕事に対して、真面目に取り組む姿勢に頭が下がる思いだった。

「うん。いいよ」
「ホンマですか?お子さん達大丈夫?」

遠慮がちに香織は微笑んだ。

「じゃあ、いつものおでん屋さんにする?」
「いいですね~。じゃあ、十九時に待ち合わせってどうですか?」
「了解」

手短にやり取りをすませると、香織の医療用のピッチが鳴った。

「交代ギリギリで急患だって」

香織はそう言い残し、忙しなく救急室へと向かった。お疲れ様と心でエールを送り『私』は、彼女が医局から出ていくのを確認すると、仕事に取り掛かった。

(十年付き合って別れたんだ‥そっか‥)

電子カルテを追う視線が止まる。彼女のその十年は意味があったのだろうか。二十代から付き合って十年。その十年は、花が咲いたばかりの瑞々しい年齢のはずだ。その十年を結局別れてしまう男のために、使ったのならばソレは、とても勿体無い年月だったのではないかと思う。
『私』はカルテの画面に再び視線を戻すと、意味もなく画面をスクールする。

(なにを言ってんるだ。私)

自分はどうなんだ。十一年も結婚生活して、結局別れたらアラフォーも目の前だし、子どもだっているし、同じ十年でも私の方が、勿体無い年月だったのではないかと、嫌な感情が心を凍らせそうになった。

「朝から仏頂面をするな。気分が悪い」

『私』はギクリとして振り返る。医局のドアの側には、医局長の前園が入ってきたところだった。
「おはようございます」
あんたのその仏頂面の方が気分悪くなるわよ。と、いつか言えたらいいのにと思いながら、精一杯の笑顔を作ってみせた。前園は、短く息を吐くと部屋の中央にある自分のデスクに向かい腰を下ろす。

「そんなことで、医者が務まるのか」
「合同カンファが始まる前に、一度病棟に降ります」

前園のクドクドとしたお説教を聞く気は微塵もない。しかし、前園が話かけてきたおかげで、『私』の心は、嫌な感情に凍てつくことはなかった事にホッと胸を撫で下ろす自分もいた。
『私』は立ち上がると、白衣のボタンを締めて医局を出る。数メートルの廊下を進んで、足早に階段を降りた。

「ホンマ、ロクな男っていないわ」

思わず吐き出していた。この世の中ってなんで男と女しかいないのだろうと、くだらない事を自分に問いただしてみる。
(ばかみたい)
『私』は、階段を降り切ると仕事のスイッチを入れる為に頭を振った。
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