ロリポップ
友華の言っていた噂は、午後から私の耳にも入ってきた。
 
 同じ課の後輩が、「恩田君と付き合ってるんですか?」と聞いてきたからだ。

 「付き合ってない」と答えたけれど、その答えは彼女の期待した答えじゃなかったらしい。

 「そう・・・なんですか?」と疑いの眼差しを向けながら、自分の席に戻っていく。

 一緒に帰る=付き合ってる
 
 の単純な発想に馬鹿馬鹿しくなる。

 一緒に帰るのが付き合ってるって言うんなら、会社中恋人だらけだって言うの。

 中学生か・・・と溜息が落ちる。

 恩田君と同期の女の子なら、こんなに噂になったりしないんだろうな。

 一緒に帰った私が、違う課の先輩だったから、付き合ってるとかって発想になったのかもしれない。

 別にいいじゃない、帰るくらい。

 そんなの、本人の自由なんだし。

 いいじゃない・・・。



 何となく居心地の悪い一日の終わりが近づいた頃。

 廊下を歩いていた私の先に、見慣れた顔が見えた。
 
 先輩らしき人と歩いてくるのは恩田君。

 書類に目をやりながら頷いているから、仕事の話をしているんだろう。
 
 正面を歩く私には気づいていない。

 すれ違う一歩手前で、顔を上げた恩田君は私を見てハッとしたように立ち止まる。


「お疲れ様です」

 私はそう言って通り過ぎようとした。

 仕事中に、しかも先輩らしき人と一緒の恩田君に、いつもみたいに話かけるのは躊躇われた。

 今は仕事中。

 だから、一言挨拶して通り過ぎようと思っていた。

「あ、逢沢さんじゃないか。そう言えば恩田、逢沢さんと付き合ってるって噂だけど、本当か?」

 茶化すように、その先輩社が話を振ってきた。

 営業課にも噂が回っていたのかとうんざりする。

 どんなものにせよ、噂話のネタにされるには不愉快だ。

 ましてや、事実でない噂なら尚の事。

 今だって、ニヤニヤしながら私と恩田君を交互に見ている目の前のこの男を、小さく折りたたんでゴミ箱に捨てたい気分だ。


「なにを・・・」

「ただの噂です。僕と逢沢さんはそんな関係じゃありません」

 私の言葉にかぶせるように聞こえた恩田君の言葉。

 私はただ、立ち尽くす。

「なんだ、本当なら凄いなって思ってたのになぁ。そうなのか」

 そう言いながら私の横を通り過ぎて言った先輩と、ありえませんよ、と言う恩田君の声が後ろに流れていく。

 すぐにさっきの書類に視線を落とし、仕事の話に戻った2人の会話は、エレベーターの中に消えて行った。


 ただの噂です。

 頭の中に響く恩田君の声。

 ありえませんよ。

 と、否定した言葉。

 その言葉に少なからず傷ついた自分を見つけて、やっぱり乙女チック症候群だな、と思う。

 そんな一言に胸がキュッと苦しくなるなんて、乙女過ぎるわ。

 事実はそうなんだから、恩田君が嘘をついてる訳でもなんでもなくて。
 
 むしろ、正直にその事を言ったにすぎない。

 自分でも同じように思っていたのに、恩田君に言われて傷つくなんて・・・・・。

 甘い疼きは苦い疼きに変わって、進もうとする私の心を引き止める。


 今ならまだ大丈夫。

 引き返せるよ、って。

 苦しくて辛いのはもう嫌でしょ?って。



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