こんな能力(ちから)なんていらなかった


 紫音を怒らせて、そして愉しげに笑う。


 その笑顔がまた怖い。

 恍惚とした表情。


 その顔は何処かで見た。はずなのだが、何故か思い出せない。
 時間も場所も状況も。

 確かに見たはずなのだが、見たはずということしか分からない。


 「……あ」


 考え事をするうちに、登るはずだった階段を通り過ぎていた。
 少しだけ引き返す。と、誰かにぶつかった。


「……晃か」

「はい」


 御岳に絡まれた後の紫音の行く場所はいつも決まっていて、どこにいるかなんて考えなくとも分かる。
 紫音の秘書でもある晃も同じことを思ったようだ。

 唯斗と晃は階段を登り、屋上へと続く扉に手をかける。
 それは抵抗なく開き、唯斗はわざと音を立ててその扉を閉めた。

 扉の閉まった音に気付かないはずがないのだが、紫音はフェンスにもたれたまま振り向かない。

 唯斗は遠くを見つめるその背中に声をかける。


「会いに行けば?」

「……優羽は今頃授業中」


 唯斗は紫音の横に立つと、紫音の視線を辿った。

 ここで紫音が見るものも変わらない。


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