掌編小説集

718.飛行機雲か消滅飛行機雲か

人様に迷惑を掛けた時は言い訳しないという、あなたのお祖父様の言葉は大変素晴らしいです。
しかし、言い訳と事実は別物です。
量刑というものは、事実に基づき判断されます。
人様に迷惑を掛けたといっても、事実と異なる供述で確定した刑は正しくはありません。
法治国家では、人が人を裁いてはいけません。
警察でも検察でも裁判所でも遺族でも無関係な人でも世間でもしてはいけないことで、法律によってのみ裁かれ償うことが出来る。
人様に迷惑を掛けた時は言い訳しないという教えを守って刑を受け入れているようですが、私には単に殺す気は無かったと裁判で言わずに極刑を受け入れることで、教えを守れている自分偉いと自己満足して、涙を流すのも我慢していると自己中心的な考えで、憎まれて死ぬことしか許されないと自己陶酔して、明らかにしなかった事実に基づいた本来の正しい裁きから逃げているようにしか見えません。
人の命の重みを踏みにじっているだけで、他人を巻き込んだ瞬間その声は誰にも届かなくなることを何も理解していない。
命というものは皆平等であり、他人も自分も勝手に価値を決められるものではありません。
このオジイサン、失礼しました、このオジサンは、お金もくれないし、褒めてもくれないし、遊んでもくれないし、恐らく恋人にもならないでしょうし、むしろこの怖い顔で説教ばかりをたれますけど、話は聞いてくれますし、絶対に見捨てはしない人です。
知っているものを知らないフリをするのは知らないで通すから簡単だけれども、知らないものを知っているフリをするのはボロが出るから難しいですが、馬鹿なフリをしても本物の馬鹿にはなれません。
馬鹿なフリをしなくてもお祖父様のように、あなた自身を見てくれる人は必ず居ます。
まずは馬鹿ではないあなたを、あなた自身が見てください。
今なら再審請求は通ると思われます。
言い訳しないという言葉に続きが無いのならば、極刑を受け入れるということではなく、謝罪でも罪を償うでも社会貢献でもいいはずです。
しかしながら、資金集めの為に嘘の予言をして不安を煽って御守りと称して売り付けたり、関係者に行き渡るようにと生きたまま小分けにしたりと、その言動に全くもって同情の余地は無いので、極刑は極刑のまま変わらないと考えます。
けれど明らかになった事実に基づいたその極刑は、誰に恥じることのない正しい極刑だと思います。
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