上司のヒミツと私のウソ
 低い声には明らかに怒気が含まれていて、目の色も違う。さっきまでの穏やかさが掻き消えて、彼の全身に荒々しいほどの本性が現れていた。

 ほかに誰もいないとはいえ、矢神が職場で──屋上以外の場所で裏になるのを見たのははじめてだった。心臓が跳ね上がり、心拍数が急激なカーブを描いて上昇するのが自分でもわかる。


 私は目を逸らした。たったいま身につけたばかりの仮面を危うく脱ぎ捨てそうになったけれど、なんとか持ちこたえる。


「期待に応えられなくて、申し訳ありません」

 下を向いたまま「お先に失礼します」といい、逃げるように執務室を出た。


「ちょっと待て」


 驚いたことに、矢神は追いかけてきた。

 廊下にはほかに人影は見あたらなかったけれど、このフロアには企画部のほかにマーケティング部も入っていて、そちらの執務室にはまだだれか残っているかもしれないのだ。
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