上司のヒミツと私のウソ
 玄関に立ちつくす彩夏の顔が見る間に青ざめていく。

 ボストンバッグを両手で固く握りしめ、彩夏は消え入るような声で「お願い」と繰り返した。


「彩夏」

 そっとつぶやいたつもりだったのに、彩夏はびくっと全身を震わせて後ずさり、おびえた目で俺を見上げた。背中をドアにぴったりと押しつけ、大きく肩で呼吸している。


「昔からわかってた。私は隼人にふさわしくないって。でも、あの事故が起きたとき、私でも力になれるんじゃないかって……私でも、そばにいれば隼人の支えになれるんじゃないかって、錯覚したの」


 弱々しくほほえんだ彩夏の目に、たちまち涙が盛り上がった。

 涙はすぐにあふれてこぼれ落ち、あとからあとから幾すじも頬をつたって流れていく。


「ばかだよね。隼人は私の助けなんかなくても、ちゃんと立ち直れたのに。私なんかいなくても、立派にご両親の跡を継いで病院の仕事に就けたのに。最初から、私なんかいなくても──」

 ボストンバッグを足元に落とし、彩夏は両手に顔をうずめた。


「隼人がそういったのか?」

 うつむいたまま首を振る。
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