上司のヒミツと私のウソ
 この一瞬で彩夏の心に穿たれた深い傷を癒すことはできないとしても、せめて数秒、数分でもいいから、安らぎを与えたかった。

 彼女の全身から、恐怖を取りのぞいてやりたかった。

 だが、やわらかくあたたかな体にふれたとたん、それだけではすまなくなった。


 体を傾け、ゆっくりと濡れた頬にキスをする。唇がごくかすかにふれあうと、彩夏の手が背広の胸元をぎゅっと握りしめた。


 その瞬間、なにかが頭の中で勢いよくはじけた。


 荒れ狂う渇望に、たちまち全身が支配される。

 さらにきつく彩夏の体を抱き締め、唇を重ねた。


 激しさを増す行為に、腕の中の小さな体が震えだしていた。弱々しく抗い、逃れようとする彩夏の体を押さえこみ、さらに深く唇を合わせる。


 しなやかな髪に指を差し入れたとき、彩夏の両手が勢いよく胸を押した。

 体が離れると、彩夏はすばやくドアを開け、逃げるように出ていった。俺の顔を見ようともしなかった。
< 300 / 663 >

この作品をシェア

pagetop