上司のヒミツと私のウソ
 隣の席のいすを片手で引いて、「まあ座れ」という。

 ためらった末しぶしぶ腰掛けると、矢神が自分のいすを回して私と向き合った。

 至近距離で視線が重なると、おもわず目を伏せてしまう。


「異動の件は、ほんとうのところちょっとやばかった。本間が俺をマネージャーに指名してくれなかったら、九月から旭川勤務だったかもな」


 本間課長は、普段から矢神への敵対心を露骨に表現しているひとだ。

 矢神が本社を離れることになったら、誰はばかることなく諸手を挙げて喜ぶだろうとおもっていたのに。


「あいつと俺、考えてることがまったく一緒だった」

 その瞬間だけ、矢神はおもいきりつまらなそうな顔をした。


「いつのまにか、俺たちみんな、自分や自分の部署の評価を上げることにばかり躍起になって、本来の目的が見えなくなってる。あのころ──『一期一会』を作ったときは、そうじゃなかったのに」


 『一期一会』。三年前、その製品開発プロジェクトが私に夢を見させた。

 こうしてこの世界に足を踏み入れることになった今も、あのとき見た夢は消えていない。


「五年前はどん底にいたから、失うものなんかなかったんだよな。でも、いまは違う。みんな手に入れたものを失うのが怖いんだ」
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