上司のヒミツと私のウソ
 いっそ、矢神に直接聞いてみる?


 頭を振る。あの極上の笑顔ではぐらかされるに決まっている。表のときの矢神は、誰にも本心を語らない。話すだけ無駄だ。

 勤務中の矢神が裏になる瞬間があるとは、到底おもえない。


 二人が恋人ではなく、ただの上司と部下に──かなり険悪な上司と部下になってしまった今、矢神と社外で会うことは不可能に近い。偶然でもないかぎり。


 その偶然を期待して「あすなろ」に通うという手もあるけれど、いつ現れるかわからない矢神を待って毎日店に通い続けるなんて、考えただけでうんざりする。絶対に嫌。

 マスターも律子さんもいいひとだし料理は絶品だけど、私のプライドが許さない。


 矢神のことばかり考えてしまう自分にむしゃくしゃした。午前中は仕事にならなくて、昼休みになるのを待ちかまえるようにして、私は屋上に向かった。


 エレベーターを使わずに非常階段をのぼった。

 最上階にたどり着くと、屋上の非常扉が開いていた。


 清掃のおばさんが洗ったモップと雑巾を干しているところだった。おばさんは私の存在など気にも留めず、せっせと仕事を続けている。
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