プラスティック・ラブ
甘く怠惰な休日明けの最初の仕事は
業務の中で一番多い披露宴の打ち合わせだった。
盛り上がり最高潮の熱いカップルを相手にするには
愛されすぎた休日の余韻が抜けきらない今のテンションくらいがちょうどいい。


今日のお客様は親友の結那。なんとお相手はあの石井君。
今や公務員となった彼と大学時代の合コンで偶然再会したと
結那から聞かされた時には
まさかこんな結末になるとは思いもしなかったけど
大好きな二人がこうして結ばれるのは嬉しいし
少しだけれどそのお手伝いができると思うと胸が温かくなる。



近年はブライダル産業も多彩になり
個性的なウエディングを望むカップルも多く
またそれを演出する専門の業者もあるようだけれど
格式と合理性、それに遠くから招く親類や友人の宿泊に便利だという点からも
ホテルウエディングを選ぶ人も少なくない。バブル時のような需要は無いにしろ
春秋のシーズンにはてんてこ舞いの忙しさになる。




「招待客数の変更はまだ大丈夫?」
「ええ。まだまだ1ヶ月前まではいいわよ」
「よかった!彼の方がまだ確定じゃないらしくて」
「招待状は少し多めに印刷するし、大丈夫。それよりお料理はコレでいいのね?」
「あー!それなんだけど…」




楽しそうな結那の笑顔は絶えることなく
輝やく肌はエステだけのせいではないだろう。



「幸せ…なのねぇ」
「はぁ?」



結那は何を言っているの?と言わんばかりの顔で
「幸せよ。当たり前じゃない」と臆する事無く答えてくれる。



「いいわねぇ」
「羨ましかったら、アンタも結婚すれば?」
「そんな相手は…」
「居るじゃない!めちゃくちゃ愛してくれるステキな彼氏が」
「あ」
「あ、じゃないでしょ」



惚けてんじゃないわよ、と呆れた顔で笑う結那の肘鉄が飛んできた。



「結婚ってシガラミもあるし、いい事ばかりじゃないだろうけど
でもあの一人の切なーい時間を過ごさないでよくなると思うと、やっぱり良いわよね」
「ひとりの切ない時間…か」
「歌にもあるじゃない!愛しい人に逢いたくて逢えなくて眠れない夜は、ってさ。
理屈じゃないのよね。胸がきゅーっと痛くてどうしようもなく切なくて
涙が出てきちゃうのは。彩夏だってわかるでしょ?」
「…うん、まぁ…ね」
「なーによ、アンタまさか……そういう思いが分からないとかバカな事言わないわよね?」
「わかるわよ!分かってるに決まってるじゃない」
「ま、彩夏の場合は切なくなるヒマもないか」



溺愛されてるしねー、と延ばした語尾はどう好意的に解しても
揶揄しているとしか思えなくて「そんなこと ないわよ」と
結那に軽く肩をぶつけた。



「あるわよぅ~」
「ないったら!」
「溺れてるというより、どっぷり浸かってる感じよね」



愛という名のホルマリン漬け?なんて言って 
ひとり笑う結那を私は睨んだ。
人の事を理科室の標本みたいに言うのはやめてもらいたい。


「違うってば!…そんなんじゃないもの」
「じゃ、なによ」
「私が彼を想う以上に 彼は私を想ってくれてるだけ」


ふうん、と不思議そうな顔で私を見た後で結那が言った。



「同じじゃないの?」
「え?」
「人を想う気持ちってさ…天秤と同じだと思うの。釣合ってないとか
あまりにも重さに差があると、揺れて傾いてどっちかの中身が零れちゃう」
「……」
「あ…っと、でも芦田くんならアンタも零れた中身も
全部受け止めて吸収しちゃうわね。きっと」



ホラ、話戻そ?と背中を叩かれ書類に視線を戻したものの
あれこれ料理の名前を並べる結那の声は遠くにしか聞こえない。



逢えなくて眠れない夜。
胸が痛くて涙が出るほどどうしようもなく切ない気持ち。
私は本当にその気持ちが分かっているのだろうか……
雅也に逢えなくてそんな気持ちになったことがあっただろうか……


ううん。違う。
だって雅也はそんな思いを私にさせないんだもの。



―――釣り合ってないと揺れて傾いて中身が零れちゃう―――



結那の言葉に感じた言い様の無い不安は
その後のどんな忙しさにも紛れないまま退社時間を迎えた。
着替えのために入ろうとしたロッカールームの入口で同僚に呼び止められ
チーフが呼んでいると伝えられ、急いで踵を返した。




「退社時間なのに悪いわね」



手渡された書類は新館設計のコンペのレセプションの出席者名簿だった。
新館も本館を建てた建築家に依頼していたのだが
その当人が数か月前に病に倒れた。
当初は闘病しながら仕事を継続する話になっていたのだが
高齢でもあるせいか、それも困難になったため
二週間ほど前に急きょ仕事を降りると言ってきたのだった。


御園ほどのホテルなら、どんな大家や有名設計事務所に頼んでも
二つ返事で引き受けてくれただろうが
より熱意と情熱と才能のある者に造らせたいという総支配人の提案で
コンペを開いて決めることになったのだ。



「やっと決まったわ」
「これで本格的な準備にかかれますね」
「スケジュールの調整が難しかった候補者がいてだいぶ揉めてたみたいなのよ」
「その方が本命なのですか?」
「キャリアは浅いけど、昨年JIA新人賞を取った有望株ではあるわ」


部長がえらく押していてね、とキレイな指先が私の手元を指した。



「その右側の名簿の一番下。学生時代からの知り合いらしいわ」



最後まで調整がつかなかったのもこの彼で
それを説得したのも部長らしいけど、と話すチーフの声を聴きながら
並ぶアルファベットの文字を追う視線が
右側の一番下で捕らえた名前は ha ya to na ru …ってこれ……



「ハヤト ナルセ・・・」


もしかして 成瀬…くん…―――



呟いた一言が抱えていた言い知れぬ不安を貫いて胸に突き刺さった。



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