プラスティック・ラブ
第六章 嵐の予感
まさか、とは思っていたけれど。この「場」でとはな。
気の利く親友を持ったことを感謝すべきか、うらむべきか。


いかがですか、と白地の詰襟の丈の短いジャケットに
小ぶりなパナマ帽を被ったボーイが目の前に銀の盆を掲げた。
空になった乾杯用のシャンパンのグラスと水割りのグラスを取り替えたら
「おい、こっちもだ」と隣から声がかかった。


準礼装のドレスコードがまるで半端だと言わんばかりの礼装を
嫌味なほど上手く着こなしているこの男が手にしたのは
意外にも俺の手のグラスよりも一段も二段も濃い飴色。


「何や、ウーロン茶か?」

「見りゃ分かるだろう」

「なんで?」

「仕事中だ」


なるほど。 今日のレセプションに関して一輝は主催の側だ。
名目上ではまだ一輝は副支配人だが事実上の経営を任されていると言っても過言ではない。
ホテル御園はバブル崩壊の煽りを受けながらも何とか持ちこたえてきたが
一時期倒産寸前にまで追い込まれたことがある。
しかし老舗ならではの信頼と信用、加えて充実した設備と立地条件の良さを活かし
グローバル企業に相応しい「力」と時代のニーズにあった宿泊プランやイベントで
わずか3年足らずで黒字経営へと立て直したのは
当時はまだMBAの取得のために留学していた一輝の采配だったと聞く。


それを足がかりにホテル御園は本格的にリゾート産業へと乗り出した。
設備投資と人材集めには惜しげもなくその財力を注ぎ
ゴージャスでエレガントな内外装に最高のサービスを誇るホテルは
大変な人気で、国内外のどこにあるホテルも予約を取るのも一苦労なのよ、と
誇らしげに彩夏が話してくれたのは、彼女がこのホテルに就職した年の春の事。
なにも一輝のトコに就職せんでも、と思わなくはなかったけれど
なんでも企業説明会の時に聞いたその理念と概念とやらに
新しい時代へ先駆けるバイタリティを感じてココしかないと思ったらしい。


バイタリティか。
確かにあるだろうなと隣の端整な横顔を見ながら思う。


「なんだ?」


見つめられるのが心外だとでも言いたげに一輝の瞳が曇った。


「いや。今日も王子は凛々しく麗しいなと」
「今すぐここから叩き出されたいか?」
「勘弁してください」
「馬鹿なこと言ってないで秘書らしく振舞え」
「はいはい」


今、俺は副支配人秘書としてこの会場にいる。本当の俺は・・・
大学を卒業して司法試験合格を目指して浪人するも2年で挫折。
ちょっと一息入れるだけ、つかの間の休息や、と言ったものの
その後は勉強する意欲もまるで沸かず、かといって他にやりたい事も見つからず
ここ2年間はバーテンダーのバイトで食いつないでいるフリーターだ。
この場限りの仮の姿は一輝によって作られた機会。
ずっと抱えていた疑問を晴らすためのチャンス。



――どうして彩夏を受け止めてやらなかったのか―――



あの雨の日の成瀬はどうみても彩夏に特別な思いを寄せているように見えた。
いや、見えただけではなくて、間違いないはずだ。
彼女を見るなアイツの目も、遠慮がちにだけれど彼女を雨から庇う仕草も
全身からにじみ出ているように漂わせている気配も
大切なものを大事に大事に扱うように見えたからだ。
とはいえ、あまりにも慎重で余所余所し過ぎるから
俺はわざと彩夏の肩を抱いたり、必要以上に触れて
からかってやったんだ。


そのすぐ後で恋人ゴッコをしているなんて子供染みた話を彩夏から聞いた。
また随分とまどろっこしい事だと呆れたけれど
そういうカタチで楽しむプレイか?と訊ねたら
激しく否定され、成り行き上そうなったのだと聞かされた。
まあ、それもわからなくはないけれど正直意外だった。
もちろん「恋人ゴッコ」が、やないで?
成瀬が彩夏以外に思う女がいるっていうところが、や。
あの時に見たアイツの様子からして
どうにも納得できないというか、引っかかるというか。


彩夏は彩夏で傍目で見ても分かってしまうほど成瀬を思っていたし
互いに想いあってるなら何の問題もない。フリなんてしないで
本当の恋人同士になればよかったんだ。



『でも振られちゃったんだもん。
 やっぱり好きなのは私じゃなかったのよ』



そう遠くを見つめた彩夏は、涙ぐみながら俺に話してくれたことがある。
卒業式の前の日に思い余ってした告白への返事が「ごめん」だったと。



惚れた弱みかもしれないが、俺にはわからない。
彩夏のどこが気に入らなかったというのだろう。


よく笑い、よく話す。なんにでも前向きに頑張る努力家だし
厚かましくない面倒見の良さがあって思いやりもある。
絶世の美女とは言えないまでも、決して見劣りするわけでもないし
スタイルだって及第点以上・・・いや、もう少し上かもしれない。
難点を強いて言うなら甘え方が下手なくらいで
まぁ、それはそれで可愛かったりするんやけどな、なんて惚気は置いといて
あの日、俺が見た限りでは成瀬も満更ではないように見えたんやけどな・・・


だから、いつかヤツと話す機会があったら聞いてみたかった。
彩夏のどこが気に入らなかったのかと。
どうして受け止めてやらなかったのかと。


そしてその答えがどうであろうと
俺は成瀬にこう言ってせせら笑ってやるんや。
逃がした魚が大きいっていうのはホンマやなあと。
否、それもありきたりで芸がないな。
もう少しインパクトの強いものでないと牽制にならない。


・・・牽制? 


牽制ってなんだ?


どうして成瀬に今更牽制なんてする必要がある?


何故だ?


俺は何を・・・?




「ま、雅也?!」



釈然としない思考を断ち切った、誰とも聞き間違うはずのない声に
俺はゆっくりと視線を向けた。


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