プラスティック・ラブ
「よぅ、彩夏」


小さく上げた手をひらひらと振る俺のところに
彩夏は小走りで近寄ると息を呑んだ。


「え?どうして?どうしてここに?!」


ころんと転がり落ちてしまうのではないかと思うほど見開かれた彩夏の
いわゆる「びっくり眼」と言うやつがじぃっと俺を見つめていた。
思惑通りな反応に小さく噴出してしまう。


「・・・可愛い」
「雅也!」


そうじゃなくて!と焦る彩夏の腰を緩く抱き寄せて
ほんのりと紅くなったその頬に思わず軽くくちづけた。


「ダメ!やめて」


仕事中よ、離して!と咎められても離せない。
抗議する彩夏の気持ちは分かるけれど
今日まで思うように会えなかったのだから
このくらいの事は大目に見てもらいたい。


「もぅ、こんなところで」


怒るというより困ったように視線をそらした今日の彩夏は
スタッフだと一目で分かるシングルの黒のスーツに胸元のネーム。
腕時計以外これと言って目に付くアクセサリーといえば
襟元を飾るシフォンのスカーフが一枚。
艶やかな髪は品良く結い上げられ、また少し細くなった首筋を艶やかに見せる。
白磁のようなそのうなじに吸いついて跡をつけたい衝動にかられる。


「少し痩せたな」


一週間前に抱いた時にはそこまで思いやる余裕がなかった。
より細くなった体のラインが魅せる大人っぽさは悪くないけれど
それがこれまでの忙しさを語っているようで、切なくなる。
自分が認めた人間には、持てる能力の限界以上を要求する一輝。
そしてココのスタッフはそれの期待に応えてしまう仕事バカばっかりだ。
だからこその業績なのだろうけれど、俺の大事なお姫さまを
こんなにやつれさすのは許せない。許せるはずがない。
やつれて尚一層、増した女っぽさに悪い虫が寄ってこないとも限らないのだから。


彩夏の頬に添えた手をそっと滑らせて
顎を軽く持ち上げて唇を合わせようか・・・としたところで
「おい」と無粋な声がかかった。


「いい加減にしとけ。場をわきまえろ」

「申し訳ありません!」


俺より先に答えた彩夏の声がほんの少し震えていた。
常々厳しくて近寄り難いと言っていた一輝の一喝だ。
かわいそうに・・・。身の竦む思いをしているのだろう。


「いや、悪いのは君じゃない」


次の瞬間、射抜くような一輝の鋭い視線が捕らえたのは俺。
おお、コワ。両手を小さく上げて降参し俺は彩夏から一歩離れた。


「秘書らしく振舞えと言っただろう。本当に叩き出すぞ?」


わかった、わかった。悪かったって。


「ごめんな、彩夏」

「ねぇ雅也、秘書って?」

「ああ、一夜限りのな」

「妙な言い方をするんじゃない」


ワケが分からないといった風の彩夏を「藤崎さん」と呼んだのは
同じスタッフスーツでもスカートではなく
パンツをスラリとはきこなした背の高い美人。
その細く長い肢体と品位のある勝気な目元はシャム猫のそれを思わせるが
猫背とはまるで逆の伸びた背筋が美しい颯爽とした立ち姿だった。


「すみません」


踵を返し駆け寄って小さくお辞儀をした彩夏は
そうだな・・・気高さこそシャムには及ばないけれど
愛くるしさでは勝るロシアンブルーといったところか。


うん、いい眺めや。


並ぶ二人を見ていると、このホテルが人を採用する時の第一条件は
容姿なのではないかと疑いたくなるけれど、そんなことを言ったら
それで務まるような仕事じゃない!と彩夏は怒りだすだろう。
確かに今日のやつれた彩夏を見る限り、それだけで務まるとは思えない。


それでも鑑賞するに十分堪えうる二人の立ち姿を
眺める幸いと視界は目の前に立った背の高い影にふっつりと遮断された。

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