プラスティック・ラブ

「ここへ来ないか?」



聞き返すまでもなく、その言葉の意味は多分ひとつしかない。
それでも私は気づかないフリをしてとぼけて聞き返した。



「あっ、あぁルームサービスね?何?お酒?それとも軽食?」

「そうじゃない。君に・・・彩夏に来てもらいたいと言っているんだ」


それがどういう事で、そうする事の意味も
全て貴方は分かって言っているの?



「そんなの、無理よ」

「どうして?仕事の規則だからか?」

「それもあるし、私にはもう・・・」

「分かってる」

「なら、言わないで」

「そんな建て前なんかどうでもいい。俺が聞きたいのは君の本心だ」

「私の?」

「そう 知りたいんだ。君の本当の気持ちを」


私の本当の気持ち。私はどうしたいのだろうか。



「成瀬くん」

「できるなら俺が・・・ 俺の方が今すぐにでも君の傍に行きたいくらいなんだ」



それをしないでいてくれるのは
私に決断するための時間と権利を与えてくれているのだろう。
仕事絡みだから。恋人と呼ぶ人がいるから。そんな規則やモラルで
ガードしてしまった心の奥を目を閉じて探ってみる。
ずっとずっと忘れられずに諦めきれずにいた成瀬への想いの火種は
小さく小さく燻りかけてはいても まだ・・・消えてはいなかった。



「来てくれ、彩夏。 君を愛しているんだ」



その一言に魂が震えた。
もう抗えるはずなどない。




「・・・行くわ。すぐに」

「待ってる」




通話を切りながら、カードキーを手に取るその間ももどかしく
急いでドアを開けた瞬間、上せていた気持ちが凍りついた。




「どうした?慌てて?」

「ま、雅也?!」




息が止まるかと思うほど驚いた私の顔は雅也にはどう写ったのだろうか。
「緊急事態でも起こったのか?」と気遣わしげな視線が向けられた。




「ううん。違うの」
「ならいいけど、どうした?」
「うん、ちょっと・・・フロントに呼ばれて」




まさか本当の事など言えるはずも無く言葉を濁すと
ふうん、と思わし気な答えと眼差しが返って来た。


「なあ 彩夏」

「ん?」

「本当はどこへいくつもりだった?」

「だから、フロントに呼ばれて」

「上着も着ずに?」

「え・・・?あぁ、ホントね。忘れてた」

「ついでにスカーフも忘れてるし、シャツのボタンも外れたままやで?」


仕方ないなぁと開いた襟元に伸ばされた侑士の指先が
そこから覗く鎖骨を二、三度撫でてからボタンをゆっくりと留めていった。
穏やかに微笑んで見える表情と眼鏡に遮られてはいるけれど
その奥から放たれる訝しげな視線に居た堪れなくなって、私は眼を逸らした。
何を? どこまで? もしかしたら・・・?と疑心が身体を強張らせる。


「しっかし、ホテルマンってのも因果な仕事やなあ」

「そんな事は」

「何の用かは知らんけど、こんな夜中に呼びつけるとは」

「ほんとだ、もうこんな時間なんだ」



気づかなかった振りをして腕時計を確認して
今更ながら気づいた事を聞いてみた。



「雅也こそ、こんな時間にどうしたの?」
「どうしたも こうしたも・・・」



そう雅也が何か言いかけた時に廊下の先に人の気配がして
私を押し戻すようにしてドアの内側に身体を滑り込ませた彼は
後ろ手に扉にロックをかけた。



「雅也?」

「いつ連絡しても携帯の電源は切ってあるし、繋がったと思えば話中だし」

「ごめんなさい。忙しくて・・・」

「そうやろうなぁ。こんな夜中に呼び出されるくらいやし」

「違うの。こんなことは珍しいんだって」



平静を装い軽い調子で答えてみたけれど雅也と私の間に流れる空気は重いままで
雅也はへぇ、と呟いて 椅子の背にかけてあった私の制服の上着を掴み
広げて私の肩にかけた。



「早く行って仕事、片付けてこい」

「え?」

「俺は別に急ぐ用でもないしな。終るまでここで待っとるわ」



私の上着がかけてあった椅子を跨いだ雅也は
その背を抱えるように腰を下ろした。


「でも、それは・・・」

「何?俺が待ってるとなんかマズイわけ?」

「そうじゃないけど」

「待たせて申し訳ないと思うんやったら、さっさと済ませて戻ってくるか・・・」



それとも、と言いながら椅子から立ち上がった雅也は
ゆっくりと私へと歩み寄り、背を少しかがめて私の眼を覗き込んだ。




「一緒に行ってやろうか? 成瀬の部屋まで」


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