時の彼方に君がいた
♢♡


部屋で本を読んでいると


ガチャリと玄関の扉が開く音がして


「ただいまー」


と間延びした兄の声が聞こえた。


時計を見上げると針はまだ7時30分をさしている。


珍しいこともあるものだ。


本にしおりを挟んで下に降りると


兄はぶつぶつ言いながら


自分と姉の靴を揃えていた。


「おかえりなさい、霖〈りん〉。今日は早いんだね」


「ただいま。たまにはさっさと帰ってもいいかなって」


『私』とは年子で、今年受験生の兄、霖は


高3になるとすぐに部活を引退し、


父に頼みこんで毎日塾に通うようになった。


学校からちょくで塾に向かい、


授業が終わった後は大抵自習室で10時くらいまで勉強している。


こんなに早く帰ってきたのは久しぶりだ。


「ったく、郁って何で靴も揃えらんなんないの」


「だって郁だもん」


それもそうですね、と霖が笑う。


疲れているのか、


霖は玄関の段差の上に腰を下ろしたまま、あごをそらして私を見上げた。


「玄関までお出迎えしてくれるとか珍しいな」


「うん」


私は兄の顔を見下ろしながら


ずいぶん白くなったものだと感心していた。


三年生になって外にいる時間が極端に少なくなった霖の肌は


二年生の頃に比べて


洗われたように色落ちしていた。


「翼、もうご飯食べた?」


「食べてないよ」


「何か作った?」


「ううん、なにも」


私の答えに


霖は嬉しそうににっこりした。


「じゃ、どっか食べに行こ。作るのめんどくさいだろ」


「霖が作ってくれてもいいんだよ」


「俺も今日はめんどくさい日なの」


別に反対する理由もなかったので


私は兄の隣に座ると


隅っこのローファーに手を伸ばした。




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