box of chocolates
 売店で飲み物を買って、スタンドに座った。ターフの上では、返し馬をしているところだった。
「オレは、御幸サブロウさんの馬を応援するために来たんだ」
「御幸サブロウさんと知り合いなんですか?」
 御幸サブロウは、言わずと知れた演歌界の大御所。数年前に歌手を引退して、今は、音楽事務所を立ち上げて若手の育成に力を入れている。
「知り合いと言うか。父の弟だよ」
「そうなんですか!」
 驚きはしたけれど、そんなことはどうでも良かった。今日わざわざ函館に来たのは。
「それより、杏の友達はどこにいるの?」
「えっ? あ、レースが始まりますよ!」
「いいの。サブロウさんの馬は、メーンレースだから。ねぇ、杏、教えてよ」
 その目で見ないでほしい。怯えてしまうから。
「戸田さんっていう騎手です。兄が仲良くしている人で」
 視線を離さない八潮さんに、嘘はつけなかった。
「戸田さん、ね。ミユキヒルメに乗っている騎手だから、よく知っているよ」
 ミユキヒルメ? すぐにメーンレースの出馬表をチェックした。確かに、ミユキヒルメには戸田さんが乗る予定になっていた。どうやらこの馬の馬主が、御幸さんのようだ。
「せっかくだから、後で会いに行こう」
「会いに行かなくても」
 私が黙って函館まで戸田さんを応援に来ているのが知られたら。今さら、恥ずかしくなってきた。
「どうして? 戸田さんは杏が函館に来ることを、知っているんだろ?」
 私は、黙って俯いた。
「わざわざ函館まで、戸田さんに内緒で来たんだ? ひとりで?」
「私の思いつきです」
「ふ~ん」
 八潮さんに鼻で笑われた。鋭い彼のことだから、なんとなく察したのかもしれない。

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