月夜の逢瀬~皇太子様と紫苑の姫君~
すると宮は、やわらかい微笑みを浮かべた。
「そなたは不思議だな……。初めて会ったという気がしない」
放たれた言葉に、私は思わず身体が固まる。
「……そ、そうですか?しかし、私などが宮様とお会いしていたなど……」
まさか自分が感じていたことを、同じように彼が感じていたとは。私は上手く回らない口でしどろもどろになりながら言った。
「……そうか?……そうかもしれないが、こうしてそなたと話しているのは、不思議と落ち着く気分になる」
──嗚呼、どうして。
この方は、いとも簡単に、こんなことが言えてしまうのだろう。
「……ありがとう、ございます」
恐らく固くなっているのであろう表情で私は言った。
「そうだ、それと、私のことは宮として扱わないでほしい」
「……はい?」
宮として、扱わないでほしい?
頼まれたその言葉の意味を掴みかねて、私の頭には疑問符がとびかった。
「先ほどの言葉のこともそうだが……私に遠慮をしてもらいとうないのだ」
「……しかし、」
それはつまり、同等の人物として扱えということなのだろうか。しかし、そんなことをするわけにはいかないと反論しようとすると、宮様によってやんわりと遮られた。
「私も一人の人間なのだ。そういつも敬われていては、息も苦しくなる」
──冗談めかして、微笑みながら放たれた言葉は、しかし恐らく嘘ではないのだろう。
根拠はないのだけれど、何故だかそれが分かってしまって、私はそんな自分に驚いた。
……でも確かに、きっといつもいつもそんな風な態度をとられていては、安らげはしないのだろう。
私はそう考えて、ゆっくりと頷いた。
「……そういう事なのでしたら、わかりました。宮様が良いと仰るなら、無礼を承知で、私はそのように致します」
宮様は少しだけ驚いた表情をされて、それからゆっくりと微笑む。
「そうか。ありがたい。そうだな、無礼などと考えるのもよしてくれ。私はそなたの、一人の友人だ。
──ああ、それと、その“宮様”という呼び方もやめてほしいな」
饒舌な宮様を前に、本当に承知して良かったのだろうかと尻込みしつつ、後半の申し出に、私は仰天した。
しかし、そんな私を余所に、彼の言葉は続く。
「そうだな……私の真名は音人(おとひと)と言うのだが、それが良いだろう。うむ、音人と呼んでくれ」
「!?……しかし、真名でお呼びするなど……」
宮様を真名でお呼び出来るのは、親族の方か、御妃様くらいしか許されないはず……そう思い、それは流石に拒否をしようと思ったのだが。
「良いのだ。呼んではくれぬか、紫苑の君」
逸らさない、逸らせないというような真っ直ぐな瞳を前に、私はなすすべもなく従ってしまう。
「……お、音人、様……」
そう、口に出した途端。
雷に撃たれたような衝撃が、私を突き抜けた。
──私はこの名を、呼んだことがある。
不意に、しかし強い確信を伴って、そう悟る。
思い出してはいけない、後には退けなくなると、頭のどこかで訴えかける自分がいるものの、そんな意思とは関係なく、記憶の紐はどんどん解けていく。
──嗚呼、そうだ。
私は、この方と、遠い昔にお会いしている。