たったひとりの君にだけ
ふうっと白い息を吐いて、首元までコートを引き上げる。
ふと、ネオン街に浮かぶ月が視界に入った。
それは、満月には程遠い欠けた月。
いずれはひとつの円を描くとわかっていても、今はまだ遠い。
明るく穏やかな光を放つには、遥か、遥か遠い話だ。
そんなくだらないことを思いながら、歩みを進めようとした矢先、後方から名前を叫ばれた。
「芽久美!」
その声が誰なのか、わかってしまうから情けない。
そして、振り返るべきか否か、迷う暇もなくコートを掴まれる。
ハアハアという息音が聞こえる一方で、こちらは仕方なく溜息を吐いた。
「……ったく、無断で帰るなよ、寂しいだろ」
無断じゃない。
親友に伝えた。
第一、帰りたくもなるでしょう。
「聞いてんのか」
「そんなことより瑠奈は?」
「無視かよ。瑠奈ちゃんにはあそこで待っててもらってる。すぐ戻るからって。……これを人質にね」
そう言って、樹はスーツのポケットから見覚えのあるスマホを取り出す。
「人質?」
「これがあれば勝手に帰らないだろ。あ、でもこれじゃ人質じゃなくて“モノジチ”か」
「は?」
「だって、スマホは人じゃねえだろ。物だろ」
そんなのわかってるよ。
「あ、でも、瑠奈ちゃん、追加注文ガンガンしてたからモノジチあってもまだ帰らないか」
だからなんなの“モノジチ”って。
漢字で書けばただの“ブッシツ”じゃない。
アホか。