愛を知る小鳥
「じゃあ、行ってくるから」

「はい。どうかお気をつけて」

「…旅行、楽しみにしてろよ?」

「…はい!」

彼の中で最後に見る自分の姿は、笑った顔であってほしい。美羽は悲しみを堪えて満面の笑みで頷いた。潤は美羽の体を引き寄せると、そのまま優しく唇を落とした。瞼に、鼻に、頬に、そして唇に。大切に慈しむように何度も何度も。
溢れそうになる涙を堪えてその愛を受け取ると、やがて名残惜しそうに彼の体が離れていった。

「…すぐ帰ってくるから」

「…はい、いってらっしゃい」

笑顔で手を振る彼を、笑顔で送り出した。


バタンと扉が閉まった音を聞いた途端、我慢していた涙が滝のように溢れ出す。
もう我慢をする必要はないんだ。自分にそう言い聞かせると、美羽はその場に突っ伏してわぁわぁと泣き始めた。涙も声も、全てが涸れてしまうほど、時間も忘れて____




一時間は優に過ぎただろうか。頭と目がひどく痛い。
それでも時間は待ってくれはしない。美羽は力の入らない体を起こすと、家の中を隅々まで綺麗に掃除していった。これまでの感謝を込めて精一杯。
そして普段ほとんど使うことのなくなっていた自分の部屋に戻ると、あらかじめ纏めておいた荷物を持って部屋を出た。リビングのテーブルに座ると、用意しておいた便箋に潤への感謝の言葉をしたため始める。
一文字一文字、感謝の気持ちを込めて。

仕事を途中で投げ出してしまうことへの謝罪の言葉を。
これまでお世話になった人達への心からの感謝を。
…そして彼への想いを。

ポタッポタッ…

「あ、あれ? おかしいな、どうして涙が……ふっ、うぅっ…!」

書いたばかりの文字が涙で滲んでいく。
先程あれだけ泣いたというのに、まだ流せる涙が残っていたのか。
止めなければという気力すらもう残っていない。


広いリビングで一人悲しみに暮れる美羽の姿は、ひどく小さく見えた。
< 235 / 328 >

この作品をシェア

pagetop