愛を知る小鳥
16 夜明け
玄関からエレベーターまで、エレベーターからエントランスまで、エントランスを出て見える風景。それらの全てを美羽は記憶に刻み込んでいった。
そして最後に立ち止まり振り返ると、彼と共に生活したマンションを見上げた。自分では一生住むことはないであろう高級なマンション。彼と過ごした時間は本当に夢のようだった。
自分には不釣り合い過ぎた幸せな時間。
夢はいつか覚めるときがきてしまう。

心のどこかで覚悟していたことだ。
だから悲しくなんかない。
悲しくなんか…

もう彼の笑顔も、怒った顔も、寝顔も、二度と見ることはない。
美羽はグッと唇を噛みしめて目を閉じた。

目を閉じればいつでも浮かんでくる姿。
たとえもう二度と会えないとしても、心の中に残された記憶は永遠に自分の中で生き続ける。どこかで彼が幸せに暮らしていると思うだけで、それだけで充分幸せだ。

ゆっくりと目を開くと、マンションに向かって心の中でもう一度呟いた。


『 さようなら 』 と。


すっきりとした顔で振り向くと、一歩ずつマンションから離れていく。やがてマンションが見えなくなる曲がり角まで来ると、もう振り返ることなく足を進めた。
しばらくして角を曲がると、数歩進んだ先に人影が見えた。ぶつからないようにとふと顔をあげたところで、美羽の体が金縛りに遭ったようにピタリと止まった。




_____そこにはいるはずのない人物がいたのだから。
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