晩靄(ばんあい)
行き、走る悪魔はじきに消え、夕べの調べが奏でられる時刻になった。
ひとりで海辺にドミトリーが遊ぶと、
波の音は一層高まった。
月と星々のかがり火が彼の孤独を励ますように、小さく輝いている。
星の森にある、大きな獣の目のような月と家々の灯りが点り、緩に、ただ魂の旅を、とても長い長い真理の道を行くような晩靄。

青年と夜の会話は、鳥の羽根が風に擦れるような音を立て、静かだった。
エジプトの砂漠にある死を思い起こす会話。
死して魂は自由を抱く事が出来るのだろうか。
肉体の柵、体の夢。愛は魂を満足させる事が出来たろうか。
宗教は?友は?恋人は?修行は?魂とはなにか、己は?
自然とは、生命の意味とは迷い、崩れ座り込んだ人がドミトリーだ。
行くあては?守るものがなければ人は明日すら
進む気など、起きはしない。
神の道とは、結局気休め程度ではないか…
「よく気がついた。」
年の頃5,60代くらいの、優しい顔の男性が、
ドミトリーの思惑を聞いていたかのように言った。
「何がです。」
はぐらかそうとして、ドミトリーはその場所を
直ぐ様立ち去ろうとした。
「神学についてだ。ひとりで何か言ってたんで、盗み聞いてしまった。
神の道は結局気休めでしかない。私もそう思っていてね。だってご覧、どれだけ祈っても人は苦しみ、死ぬ。死んでないものは死の国を見ることは出来ないではないか。自らの本質に背を向けながら生きた所で、楽になったか?自己嫌悪や罪悪感が軽くなっただけだ。そしてその自己嫌悪や罪悪感は誰が植え付けたんだ。神という未知の恐怖を持って、人々をコントロールしている支配者だ。私はそんな人間とは違い、あなたに何か不自由のないように土地を与えた。誠の友ではないか、何故そう怯えている。保証の事かい?なにも無理にとは言わないのだよ。ただ、あの教会とやらが嫌いで、虐げられている人を見るとこうして外へ出してやっているのだよ。」
「そうだったんですか。」
ドミトリーが言うと、悪魔は笑った。
「君はものわかりがいいねぇ。そう、私は強いて言えば、思想家なのだよ。教会などと言ってただの思想か倫理だ。犯罪者を作らない為のね。」
「それは正しいことなんですか?」
ドミトリーが訪ねると、悪魔は笑顔を作った。
「君にとっては正しいのかも知れないね。けれど、私にとっては違うのかも知れないね。」
「あなたは犯罪をするのが正しいと?」
「神への犯罪というのは、どんな事柄だ?結局さっさと死ねと言ったものばかりだ。愛などと目に見えない物をわかったように書く書物はファンタジーだ。現実に生きていない。
何故なら、人間そのものの本質ではなく、愛や神など、幻を追いかけて、人間の本質と向き合ってないからだ。どれもこれも平均に揃っていれば正しいなんて、背の低すぎる者や高すぎる者や女性ライ病患者、を差別したり、動物に魂がないなんて教えが正しいなんて、私には到底理解が出来ない。そんな思想家こそ差別されるべきだ。とても形に拘っている思想だ。形や個性など変えようがないだろう。死にたくなって当然だ。産まれてこられただけで感謝しろなんて、狂人になれというのか。産まれてこられたという理由だけで、植物のように多くを与え続けるのか?バカ気ている。まるで奴隷だ。死して尚与え続けているのが、イエスという人だ。あわれでならない。」
悪魔は笑った。
「イエスは夢を叶える道具ではないと言いたいのですね。」
ドミトリーが呟いた。
「やはり君はものわかりがいい。」
「神は何も必要とはしません。営みそのもののだから、決して憐れむものではない。」
ドミトリーは反論した。
「君はテストを受けようとは思うかい?
神のテストだ。私は悪魔だが、神のテストを与える教師でもあるんだ。闇雲に人間を陥れたりはしないよ。」
本当に優しい笑顔を悪魔はして、ドミトリーをテストに誘った。
「わかりました。テストを受けようと思います。」
ドミトリーが口を開くと、赤い閃光が目を眩まし、気がつくと地獄の崖に立っていた。
その時、ドミトリーは思い出したのだ、悪魔との約束を・・・。
それは愛する者達を天秤にかけるテストだった。
ドミトリーは悪魔と約束した時の人間の姿になり、檻に入れられた前世の友と恋人の姿を崖に見た。
悪魔は真の姿を現し、黒い羽根で飛び回った。
「どっちが大切か、選ぶように、どちらかしか救えない。」
悪魔はこの世のものとは思えない程の笑い声で、地獄を作り上げた。
ドミトリーはどちらも選べなかった。
ドミトリーはそのまま地獄の崖へ飛び込んだ。
悪魔は予想をしていない選択に困惑し、ドミトリーの後を追った。

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