明日、嫁に行きます!


 あれは何番目と何番目の彼氏がやらかした悪行だったかな。
 うぅ、思い出すたび怖気が走る。私、口にしちゃったんだよ、彼氏から『はい』って手渡されたあのペットボトル。飲み口を舐めまくったというエピソードや、妙な薬が入っていたって事実を浩紀から聞かされた時は、ショックのあまり食欲減退で3キロも痩せたんだ。
 さすがにこの時ばかりは、悲惨な恋愛ばかり繰り返す私に対して、クラスの女子達が慰めてくれたんだけど。
『なんでろくでもない男ばかり選ぶの?』って真剣に聞かれて、返答に困り、つい『ほっとけないから?』って答えたら、もの凄い哀れみの籠もった目で見られた。可哀想って本気で同情されて、泣きたくなった。でも、これがきっかけで、女の子達が少しずつ話しかけてくれるようになって嬉しかったんだけどね。
 それにしても、過去の彼氏なんてろくなもんじゃない。出来ることなら、過去から抹消してやりたい。
 浩紀め。ホントに、真面目に、自分の男運のなさを呪いたくなるから、過去を思い起こさせるようなこと言うのヤメて。
 勝ち誇った顔で私を見下ろす浩紀に、私は修羅の妄執を晴らすべく、『鼻フックってどこで買えば良いんだろ?』とか真剣に考えていた時だった。


「面白そうな話ですね」

 私達の背後から聞こえた背中を震わす甘いバリトンの声に、驚きのあまりビクーッと直立不動になってしまう。
 恐る恐る振り返ると、腕を組み、営業用の笑顔を浮かべた鷹城さんが、仁王立ちに立っていた。

「寧音は、そんな犯罪者紛いな男が好きなのですか?」

 至極真面目な顔で聞いてくるものだから、

「んなわけあるかっ!!」

 思わず、声を嗄らすほどに叫んでしまった。
 みんな突然豹変したの! そんなおかしな性癖知ってたら、絶対付き合ってなかったし!
 違う違うと、ぶんぶん頭を振るんだけど、

「寧音は少し変わった感覚を持っているようなので、僕は苦労しています」

 なんて、鷹城さんはわざとらしく溜息を吐きながらそんなことを言ってくる。
 そんな鷹城さんに、私は『一言物申す!』とばかりに声を荒げた。

「ちょっと! なに自分は普通みたいに話してるかな!? 貴方も大概普通違うでしょ!」

「そうですか? ならば、普通でない寧音と同じですね。普通でない異常な者同士、これからも仲良くしましょう」

 私の肩を抱きながら、にっこり笑顔で威風堂々『異常者』宣言をした鷹城さんは、他人の振りを決め込む私を、留めてある車へと足早に連れて行こうとする。
 私はまたも「ぎゃ――――っ」となった。

「そんな卑猥な言い方ヤメて! 『異常な者同士、仲良く』なんて言葉、変態カップルみたく聞こえるでしょ! 私は違うから! そんなん違うからね!」

「変態カップル? 大丈夫ですよ、寧音。僕は大抵の経験がありますから、どんなご希望にも対応できます。……離れられなくなるほどに、満足させてあげますよ?」

 魔的なほどに淫靡な空気を纏いながら、鷹城さんは愉しげにふふっと嗤う。
 なんてエロいことを言うのかこの男。
 浩紀が唖然としてるじゃないか。
 私の身体が羞恥と怒りでふるふる震える。言いたい文句が山ほどあるのに、喉の奥に言葉が詰まって何も出てこない。
 鷹城さんの身体からは失神しそうなほどに濃密な色気が漂っていて、私みたいな小娘には強烈すぎて目眩がする。剥き出しな、獰猛なまでの色気にあてられて、力が抜けた足がヨロヨロとふらついてしまう。蹌踉《よろ》めく身体を支えられ、密着する肢体に、さらに頭が熱くなってゆく。

「おい、アンタ、一体なんなんだ?」

 私を抱え込む鷹城さんの腕を突然掴みあげた浩紀が、激怒をのぞかせた低い声で問う。
 鷹城さんは煩げに双眸を眇めると、浩紀の腕を振り払い、薄い唇に残忍な笑みを浮かべた。

「……嫉妬の目、ですね」

 その言葉に、浩紀の顔にカッと朱が走る。

「ふふっ、顔が真っ赤ですよ? 分かりやすいほどに素直な反応です。貴方、可愛らしいって言われませんか?」

 大人な男に『可愛らしい』などと揶揄されて、よりいっそう顔を紅潮させた浩紀は、呆然と目を見開き、ポカンと口を開けたまま立ち尽くした。

「てめっ……!」

 一瞬後、浩紀は羞恥と怒りに震えながら鷹城さんを険しい目で睨みつける。そんな浩紀を一瞥し、鼻で嗤うと、鷹城さんは彼を煽るようにして、さらに私を強く抱きしめてくる。
 初めて見る浩紀の憤怒の表情に、鷹城さんの敵意を露わにした氷のような冷たい容貌に、私は固唾を飲んだ。

「……ふざけんなよっ、てめえ! 寧音の夫になるとかワケ分かんねえこと言ってたけど、アンタ妄想系のダメンズかよっ」

 からかわれた腹いせとばかりに、浩紀は嘲るように吐き捨てる。
 フッと失笑した鷹城さんは、片眉を器用に跳ね上げさせ、哀れみの籠もった目を浩紀へ向けると、居丈高に言い放った。

「妄想などではありませんよ? 言葉通りの意味です。僕は彼女の夫になる。寧音が付き合った過去の男どものような欠陥品とは訳が違います。だから、保護者気取りの君は、もうお役御免なんですよ」

 ――――今までありがとう。お疲れ様?

 鷹城さんが冷然と言い放つ。
 浩紀は鷹城さんが纏う圧倒的な威圧に気圧されて、目を見開いたまま唇をきつく噛み締める。彼の相貌に、わずかな恐怖が浮かんでみえた。

「寧音はアンタみたいな完璧にみえる男なんて趣味じゃないんだよ! 寧音、イヤがってるだろうが! その手、離せ!」

 逆上したように、浩紀は私を拘束する鷹城さんの腕を引き剥がそうと飛びかかってくる。殴るような速さで伸びてきた浩紀の腕を、鷹城さんはガッと掴みあげ、ギリギリと締め上げ始めた。

「うわっ、いてっ……っ!」

 加減なく締め上げられる痛みに、浩紀は鋭い呻きを発した。けれど、鷹城さんは力を緩めることなく、口元にうっすらと酷薄な笑みを刷いたまま、掴んだ腕を万力で締め上げるようにして力を加えてゆく。

「よく見なさい。私の腕に抱かれて、寧音はイヤがっているように見えますか?」

 挑発するように浩紀へ告げられたその言葉に、私がハッとなる。
 痛みに目を眇める浩紀と視線が絡まり、私の顔が赤く染まるのがわかった。
 怯えるように鷹城さんの服の裾を掴んでしまう。

「寧音、お前、まさか……」

 呆然とした浩紀の声。
 その瞬間、私は悟った。浩紀に知られてしまったのだと。

 ――――私の心が、急速に鷹城さんへと傾きつつあることを。

 浩紀が放った言葉が正しくないことを、私自身が如実に物語っていたんだ。
 鷹城さんの腕の中にいることを、私はイヤがってなどいない。
 大きな存在に守られてる感じがして、どうしようもなく安心する。この腕の中にいたら、なにがあっても大丈夫って、無条件に思えてしまうんだ。
 こんなふうに感じたことなんて、今まで一度もなかったのに。
 私はこれ以上浩紀の顔を見ることが出来なくて、不自然に目を逸らせてしまった。
 刹那、浩紀の眸に傷ついたような昏い影がサッと過ぎる。

「分かって頂けましたか?」

 片微笑む鷹城さんの声に、浩紀の顔がくしゃりと歪む。

「目障りだ。消えろ」

「た、鷹城さんっ! そんな言い方ってない!」

 思わずあげた非難の声に、鷹城さんは諭すように言った。

「潔く振るのも優しさではないですか? 彼にはきっぱりと貴女を諦めてもらわねばなりません」

 その言葉に、振るもなにも、友達なのに。そう思い、浩紀に視線を移した。彼の目に浮かぶものは何だろう。

 ――――怒り、悔しさ、そして、あれは……。

 私と鷹城さんを見比べながら、彼の眸にゆらゆらチラつく小さな焔。
 寂しさと、歯噛みするような慚愧《ざんき》の念。
 そして。
 自意識過剰かも知れないが、私にはその小さな焔が嫉妬に見えた。
 浩紀は私のことを、友達としてではなく、一人の女として見ているんだろうか。
 もしそうであるならば。
 私はなんて酷いことをしてきたのだろうと愕然とした。
 彼の傍で、私は様々な男と付き合い、別れを繰り返した。それは浩紀も同様だったわけだけど。
 浩紀の優しさに甘えていた私が、浩紀の言うようにあまりにも幼稚で、愚かで、悔しくて。申し訳なかった。
 浩紀にそれっぽいことは言われてきたけれど、全て冗談としてだった。そこに、彼の真実が紛れ込んでいた?
 私は声をあげる浩紀の真実を見極めようと、彼を見つめた。 

「……離せって! このバカ力がっ。アンタ、寧音を守ってやれる自信、あんのかよっ」

 鷹城さんが力を緩め、浩紀の腕を放す。浩紀は掴まれて痣になる腕を振りながら、悔しげに舌打ちを洩らした。

「自信がないように見えますか」

「……見えねえよっ! けどな、あんたは、寧音が望むような『普通』の男にも見えねえんだよっ」

 浩紀が私を心配してくれている。
 また男に泣かされやしないかと心配してくれて、敵わないと知りながらも鷹城さんに食ってかかっているのだろうか。
 そう思うと、なんだか浩紀がすごく頼もしく思えてきた。
 私は大家族の長女だけど、兄がいたら、こんなふうなのかなと思ってしまう。
 やはり私の中には、浩紀に対して親愛の情しか見つからない。
 もし浩紀が、私のことを親友としてではなく一人の女として、好きと思ってくれているのだとしたら。
 鷹城さんが言うように、どこかで決別しなければならないのだと思う。
 胸の奥に風穴が空いたようになり、寂しさに苛まれてしまう。

「それでいい。寧音が『普通』でないのなら。僕は『普通』を捨てるまでのこと」

 堂々と宣言する鷹城さんの言葉に、私も浩紀も呆気に取られてしまう。が、私より先に正気に戻った浩紀は、呆れた目を鷹城さんへと向けた。

「そーかよ。勝手に捨てろ。でも、最後に寧音が選ぶのは普通の男だ」

「それは難しいでしょう。寧音が普通を選べないのは、そういう家系のようですから」

 ――――血筋からくる性《サガ》を変えるのは無理でしょう。

 きっぱりと言い切る鷹城さんに、私が愕然としてしまう。
 ダメンズウォーカーである性質は変えることが出来ないのだと言い切られてしまい、ショックで言葉が出ない。
 でも、鷹城さんの言葉に、私は便乗した。

「そうなの! やっぱり私、普通の男の人はダメみたい! そういう残念な家系なの! 残念な私は、残念な鷹城さんの面倒見なきゃダメだから、浩紀ごめんなさいっ、私行かなきゃ!」

 私の言葉に絶句する浩紀は、目を瞠り、そして、ぷはっと吹き出した。

「そーかよ。あーあ、顔だけはいいくせに。中身はホント、残念女だな、お前。そのイケメンに泣かされたら戻って来い。普通代表な俺が慰めてやるよ」

 ――――待つのは慣れてるし。

 疲れたように脱力した浩紀はそう告げると、肩を落としたままきびすを返す。

「また学校でな」

 後ろ手に手を振りながら、浩紀は声を掛けてくる。

「う、うん!」

 答えた私を、鷹城さんはグイッと車へと押し込めると、そのまま車を発進させたのだった。

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