マッタリ=1ダース【1p集】

第21話、雨降り涙のさみしんぼ

 何度目の春だろうか。高校を卒業する桜子のすぐ後ろを、貞夫が歩いている。

 貞夫は和菓子屋を営む隣家の息子だった。同い年で仲の良い二人……。しかし今となっては、桜子がどんなに頼んでも、並んで歩くことはなかった。

 桜子はある理由で左目の視力を失っている。その瞳は閉じられているが、切長で睫の長い桜子は、誰もが羨む美しい女性に育った。

「貞夫さん。私を愛おしく想おうてくれるなら、横に来て一緒に歩いてはくれませんか」

 桜子は幼い頃に結んだ約束を忘れはしない。お互いほのかに抱いた恋心。そして貞夫を夫とし、妻になる夢。

 桜が舞い、立ち止まる。その後ろで貞夫の歩みも止まる。

「もうあれから十年になります。貴方はそうやって、いつまでも影のように私に添い遂げるおつもりなのですか?」

 十年前の夏祭り。神社の境内に立てられた露店に小遣いを差し出し、たどたどしいもの言いで、貞夫は飴を買う。

 初めて過ごす忘れられない時間。そんな二人に、くしくも悲劇が襲った。

 石段を上りきった振り返りざま、貞夫がくわえた飴玉の棒が、追い掛けてきた桜子の眼球をえぐったのだ。

 間違いなく幼い二人に起きた不幸な事故だった。大人たちは大人のルールに従って処理し、貞夫は貞夫なりの償いを課した。

「ある日、女の子は左目を失い、男の子は人生を掛けて守ろうとしました」

 桜子が語り始めた。振り向いた桜子に、目を反らす貞夫。

「女の子は男の子に、前にも増して恋心を抱くの。でも、本当は解放されたいと、心の奥底で思ってる」

 貞夫はゆっくりと顔を上げ、天を仰ぐ。同じくぽつぽつと降りだした雨が、額に当たり、そして目の中にパチンと落ちた。

「やがて、少女になった女の子は命を絶ちます。ねえ、貞夫さん。貴方はもう貞夫さんではなくなってしまったの? 私のかけがえのない人は、どこにいってしまったの?」

 しっとりと頬を伝う涙が、雨で流される。濡れた黒髪の奥に控える桜子の瞳には、何一つ映るものなどない。

 貞夫が静かに近付いて来るのが分かった。息を殺し肩を窄めると、次第に雨粒が消える。

「濡れますから」

 穏やかで聞き覚えのある声だった。貞夫の差した傘に寄り添っている。

 顔を上げると、貞夫の白い歯が滲んでいた。
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